Sophist Almanac

世界について知りたいとき

Judicial Branch - 最高裁をガラス張りに ② 日本とアメリカの最高裁を比べてみる

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さて、先日の日本の最高夫婦別姓判決の話のつづきなのですが・・・。

アメリカの最高判所には九人の判官がいる。そして、メディアには、彼らの発言だけではなく、所属する宗教や思想、さらには好きな野球チームまで明らかにされ、頻繁なメディアの露出だけでなく、積極的に大学の講演会なども受ける。

 

https://mainichi.jp/articles/20160224/k00/00m/030/066000c

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  七年前の夏。大学に、米国最高判所きってのリベラル派でユダヤ系のスティーブン・ブライヤー (Stephen Breyer) 判事がやってきた。銃規制に関する歴史的な判決のすぐ後の事だったと思う。

 

きゃー、まじですか、ということで、学生に参加を呼びかけたが、私自身はどうしても仕事の都合がつかず、涙をのんだ。

  

「アクティブ・リバティ:21世紀アメリカ憲法の果たす役割」と題された講演では、アメリカ憲法は、基本的人権、権力の分立、などを保障しているが、最も民主主義にとって不可欠なのが、市民が積極的に政治に参加する「積極的な自由」 (affirmative liberty) の保障だと説いた。

 

民主主義の根幹には、市民が政治的なことに対して積極的に発言し行動する「積極的な自由」(affirmative liberty) というものがある。そこを押さえておかないと、民主主義は、その内側から衰退する。その上で、差別是正政策 (affirmative action) の重要性などにも言及した、らしい。

  

その講演は、学生たちの質疑応答も含めて、とても感動的だったと。そして、講演後のホールは、学生たちとの写メ祭り状態(笑)。ある学生は、携帯の待ち受け画面に設定したブライヤー判事とのツーショット写メ (^_^.) を、さも嬉しげに私に見せてくれた。最高判官が学生と一緒に議論し、写メ大会までやってのけるとは。これがアメリカの裁判官のリアルである。

 

また、今月のアメリカ最高、アファーマティヴ・アクションについてのフィッシャー判決では、カトリックで保守派のスカリア判事の言葉が取りざたされた。差別是正政策枠で、「成績の良くない黒人」をテキサス大学に入れるのは、黒人の為にならず、むしろ、よりアカデミックではない、「のんびり地帯の」学校にいったほうがいい(~_~メ)、というような発言が話題となり、炎上した。スカリア判事は話題の人となった。

 

このように、良くも悪くも、アメリカの最高の九人は、市民にすごく身近なところにある。どの判決でどの判官が何を言ったのか、明確にニュースになって配信される。意識しなくても、それぞれ支持したい判官と、この人はちょっと…的な判官を、市民自身が判断できる。

そして、アメリカ最高の判決は、その社会の流れを確実に変えてきた。例えば、今年の同性婚に関する判決で、アメリカの混迷した同性婚合法化への道筋がひとまずできた。

日本の最高判官は15人。もちろん、学生と一緒に写メ大会してくれ、と言ってるわけではない。そうではなくて、司法を担う者として、15人の存在を、発言を、もっと可視化してほしい、といっているのだ。そして、もっと市井の場に積極的にかかわってほしい。最高をガラス張りに。

それをすることなしに、市民を判員として駆りだす判員制度を導入するなんて、見当違いもはなはだしいばかりだ。

 

朝日新聞グローブ (GLOBE)|日米最高裁、少数意見が社会を変える 司法の役割とは---米国の現場で

司法の役割どこまで それが根源的な対立だ

中川丈久神戸大教授(行政法

米国の最高裁には、保守対リベラルの対立があると言われる。
妊娠中絶や同性婚、人種的優遇措置を許容し、州政府よりも強い連邦政府を肯定する傾向をもつ人がリベラル派、その逆が保守派と呼ばれる。
保守派とされるスカリアと、リベラル派とされるブライヤーは、判決のなかはもちろん、著書でも互いを批判し、公開討論会でも論争する関係だ。

Antonin Scalia アントニン・スカリア 1936年生まれ。ハーバードロースクール修了。大手事務所勤務などを経て、71年に政府入り。放送分野などにかかわった。
民主党政権になったため大学に戻り、シカゴロースクール教授。その後連邦控訴裁判事を経て86年、レーガン大統領によって最高裁判事に任命される。著書に『A Matter of Interpretation: Federal Courts and the Law』など。73歳。photo:AP

スカリアが10年ほど前に講演のために来日したとき、有馬温泉を案内したことがある。

 

彼は温泉好きで、宿に着いて風呂に入り、寝る前も朝も、計3回入った。その話を、昨夏やはり講演で来日したブライヤーにしたところ、「じゃあ私は4回入る」と。こんなところにもライバル心が見てとれた。

 

スカリアはイタリアから移民してきた大学教授の子で、恰幅がよくて人なつっこい「下町のおっちゃん」という感じ。9人の子の父親でもある。
ブライヤーは、ハーバード大ロースクールで私の指導教授だった。とてもやさしい人だが、先生だったからか、敷居の高さも感じる。フランス語にも堪能。妻は心理学の専門家で、英国の貴族の一員という。

2人の対立が具体的に表れたケースを見てみよう。


17歳以下の少年を死刑にしてよいかという問題について、ブライヤーは裁判所として禁止すべきだとするが、スカリアは「どんな場合なら死刑を禁止すべきかという問題を裁判官が決めることはできない」という立場だ。
公共施設に聖書の「十戒」を掲示することの是非をめぐっては、政教分離に関して積極的に切り込もうとするブライヤーに対し、スカリアは昔も今も米国社会と宗教は切り離せない関係であることを理由に、政教分離を厳しくする解釈はおかしい、という。

 

Stephen Breyer スティーブン・ブライヤー 1938年生まれ。
ハーバードロースクール修了。政府内弁護士を経てハーバードロースクール教授に。行政法独禁法などで著名。航空業界の規制緩和立法にもかかわった。連邦控訴裁判事を経て94年、クリントン大統領によって最高裁判事に任 命される。著書に『Active Liberty』など。71歳。photo:AP

2人の対立を、憲法や法律解釈方法という次元でとらえるならば、時代の変化とともに法律や憲法の意味が変わりうるというブライヤーの立場と、法律や憲法も制定当初の意味(原意)に忠実に理解すべきで、それに裁判官が手を加えるべきではないとするスカリアの立場の違いということになる。

 

2人の本質的な対立は、「司法は何をどこまでやっていいのか」という哲学の対立にある。


法の可能性を追求し、法で社会をよりよくすることに希望を抱く立場をとるのがブライヤーだ。社会は進歩するもので、そのために法律家は法律という道具を使って手助けできる、という思想だ。


それに対し、スカリアは、法律家が社会を支配すべきではないという観点から、憲法や法律の解釈にあたって抑制を求める。法の限界を正しく認識せよ、というのだ。「法律家が何でもわかるというのは傲慢だ、自分もわからない」というわけだ。

 

スカリアとブライヤーの方法のどちらがいいのか。だれもが悩む。2人の対立は、永遠の対立だ。


判決を出すときに、少数意見(個別意見)を活発に書くのはスカリアやブライヤーだけではない。全員だ。みんなよく喋る。意見は長く、たくさん註がつけられていて、まるで論文だ。体系的に自分の考えていることを語ろうとしている。

 

最も大きな特徴は、裁判官たちが、根本に立ち返っての、そもそも論として、憲法論を語っている、ということだ。ブライヤーもスカリアも、魅力的な憲法論を展開している。
憲法論がないと、書いてあるもの(法律など)をどう解釈するかという技術論になる。その前にそもそも論、憲法論をするから、素人にもわかりやすい。


そもそも論としての憲法論が豊かであることは、その国の法文化が豊かであることを示すと、私は思う。法律論が一部の人に独占されているのではなく、みんなに共有されているからだ。(聞き手・山口進