Sophists' Almanac

世界について知りたいとき

Nuclear Weapon - Hiroshima 8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾が広島を生き地獄にかえました - きのこ雲の下で何が起きていたのか

 

    〈ヒロシマ〉というとき

    〈ああ ヒロシマ〉と

     やさしくこたえてくれるだろうか。

          栗原貞子「ヒロシマというとき」

 

みんなは広島の街を訪れたことがある?

 

広島市 に対する画像結果

 

ゆったりと流れる大田川、

その川にはぐくまれた広島の街並み。

 

その広島の地にたったなら、

そこで、そのにぎやかな街を見まわして、

そして、もう一度8月のあの日のことに想いをはせてほしい。

 

1945年8月6日 午前8時15分

 

雲一つない夏の朝。

人類史上初の核爆弾が、広島に落されました。

原爆 に対する画像結果

 

それで、推定人口35万人のうち、9万から16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされています。56万人の人間が被爆し、今も後遺症に苦しんでいます。

 

それは私たちにとって過去の話なのでしょうか。

私たちは核兵器が人類に与える

想像を絶するような苦しみと悲しみを忘れてしまったのでしょうか。

 

なんと被爆国の日本が国連の核兵器禁止条約の締結に反対を表明

 

核兵器禁止条約、採択 日本「署名しない」

中日新聞(CHUNICHI Web)

 【ニューヨーク=東條仁史】米ニューヨークの国連本部で制定交渉が続けられてきた「核兵器禁止条約」は会期末の七日、投票が行われ、賛成多数で採択された。前文では、被爆者について「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)の受け入れ難い苦しみと危害に留意する」と明記核兵器の非人道性に焦点を当て、開発や使用など幅広い行為を国際的に違法とし、核廃絶を目指す条約が誕生した。

 投票の結果、賛成は百二十二カ国、北大西洋条約機構NATO)諸国で唯一参加していたオランダが反対し、シンガポールが棄権した。米国やロシアなどの核保有国と、米国の核の傘に守られる日本などは交渉に参加しておらず、実効性が課題となる。

 日本の別所浩郎(こうろう)国連大使は、記者団に「条約に署名することはない」との方針を明言した。

 ホワイト議長(コスタリカ)は、採択後の記者会見で、国連加盟国(百九十三カ国)の六割以上が賛成したことについて「国際社会にとって歴史的な節目だ」と意義を強調。「広島と長崎の原爆の被害者の存在は非常に重要だった」と、交渉会議で経験を語った被爆者らに敬意を表した。

 条約の前文では、核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道上の結果に深刻な憂慮を表明して「核兵器を完全に除去することが必要」と明記した。禁止事項として、開発や製造、実験、使用などを挙げ、これらの行為の援助も入れた。さらに当初案にはなかった「使用するとの威嚇」も、多くの国からの要請を受けて含まれた。核抑止力を否定する内容のため、日本などが参加する可能性は低くなった。

 一方、発効後の締約国会議には、非締約国もオブザーバーとして参加できる規定も設け、核保有国や日本などにも門戸を広げた。

 条約の署名は九月二十日から国連本部で始まり、五十カ国が批准して九十日後に発効する。

 

なぜ安倍政権は核兵器禁止条約に反対なのでしょうか。

私たち日本は被爆の苦しみをもう忘れてしまったのでしょうか。

 

 

きのこ雲の下で何が起きていたのか

 

ビッグデータと医療専門家の監修でつくられたドキュメンタリー

お薦めです !

 

youtu.be

  

きのこ雲の下で何が起きていたのか

1945年8月6日、広島で人類史上初めて使用された核兵器


その年の末までに14万人以上の命を奪ったという数字は残されているが、原爆による熱線、爆風、放射線にさらされた人々がどう逃げまどい、命つき、あるいは、生き延びたのか、その全体像は実際の映像が残されていないために、70年の間正確に把握されてこなかった。


巨大なきのこ雲が上空を覆う中、その下の惨状を記録した写真が、わずか2枚だけ残っている。原爆投下の3時間後、爆心地から2キロのところにある「御幸橋」の上で撮影されたものだ。


被爆70年の今年、NHKは最新の映像技術、最新の科学的知見、生き残った被爆者の証言をもとに、初めて詳細にこの写真に映っているものを分析し、鮮明な立体映像化するプロジェクトを立ち上げた。きのこ雲の下の真実に迫り、映像記録として残すためである。


平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、人生の残り時間を見つめながら、「いまだ “原爆死”の凄惨を伝えきれていない」という思いを強めている。


白黒の写真に映る50人あまりの人々の姿―――取材を進めると2名が健在であることが判明。さらに、その場に居合わせた30名以上の被爆者が見つかった。彼らの証言をもとに写真を最新技術で映像処理していくと、これまでわからなかった多くの事実が浮かび上がってきた。
火傷で皮膚を剥がされた痛みに耐える人たち、うずくまる瀕死の人たち。


皆、爆心地で被爆し、命からがらこの橋にたどり着いていた。写真に映る御幸橋は、まさに「生と死の境界線」。多くの人がこの橋を目指しながら、その途中で命尽きていたのだ。

 

きのこ雲の下にあった“地獄”。
残された写真が、70年の時を経て語りはじめる。

 

広島で人類史上初めて使用された核兵器

 

その年の末までに14万人以上の命を奪ったという数字は残されているが、原爆による熱線、爆風、放射線にさらされた人々がどう逃げまどい、...命つき、あるいは、生き延びたのか、その全体像は実際の映像が残されていないために、70年の間正確に把握されてこなかった。


巨大なきのこ雲が上空を覆う中、その下の惨状を記録した写真が、わずか2枚だけ残っている。原爆投下の3時間後、爆心地から2キロのところにある「御幸橋」の上で撮影されたものだ。

 

被爆70年の今年、NHKは最新の映像技術、最新の科学的知見、生き残った被爆者の証言をもとに、初めて詳細にこの写真に映っているものを分析し、鮮明な立体映像化するプロジェクトを立ち上げた。きのこ雲の下の真実に迫り、映像記録として残すためである。

 

平均年齢が78歳を超えた被爆者たちは、人生の残り時間を見つめながら、「いまだ “原爆死”の凄惨を伝えきれていない」という思いを強めている。

 

白黒の写真に映る50人あまりの人々の姿―――取材を進めると2名が健在であることが判明。さらに、その場に居合わせた30名以上の被爆者が見つかった。彼らの証言をもとに写真を最新技術で映像処理していくと、これまでわからなかった多くの事実が浮かび上がってきた。

 

火傷で皮膚を剥がされた痛みに耐える人たち、うずくまる瀕死の人たち--- 皆、爆心地で被爆し、命からがらこの橋にたどり着いていた。写真に映る御幸橋は、まさに「生と死の境界線」。多くの人がこの橋を目指しながら、その途中で命尽きていたのだ。

 

残された写真が、70年の時を経て語りはじめる。

 

※フランス公共放送F5との国際共同制作。

 

 

原爆資料館に行ってみよう

 

広島市の平和記念資料館は25日、展示内容を入れ替え、26日にリニューアルオープンする東館を、報道陣に公開した。市街地の立体模型に被爆前後の映像をCG(コンピューターグラフィックス)で投影する展示などを新たに加える。
 直径5メートルの「ホワイトパノラマ」は、米軍が1945年7月25日と8月11日に撮影した写真を基に作成した映像を、6台のレーザープロジェクターで街の模型上に映し出す。たった一発の爆弾が一瞬で街を破壊する様子を、約1分半再現する。
 他にも、視覚障害者らが被爆前後の原爆ドーム広島県産業奨励館)の違いを手で確かめられる「ふれるヒロシマ」などの展示を導入。昨年5月、オバマ米大統領が持参した自作の折り鶴は、東館地下1階の無料ゾーンで公開する。【時事通信ニュース映像センター】