Sophists' Almanac

世界について知りたいとき

Nuclear Disaster in Fukushima - どのように日本政府と日本のメディアは対応したのか

CNN が伝える、

日本政府と日本のメディアは福島にどう向き合ったのか。

 

Today's Workshop

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五年後の検証番組。

 

福島がちゃんと報道されなかったのは、

各社の取材規制だけのせいではないだろうが、

ここではその取材規制についてやっと語られている。

 

 

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テレメンタリー 2016

その時、『テレビ』は逃げた〜黙殺されたSOS〜

 

3.11の想像を超えた原発事故について、抗議メールが多くきていたにも関わらず、テレビ朝日では当時「指示があるまで取材は行わない」というルールを定め取材を行わなかった。

福島第一原発の事故直後、菅直人総理大臣は含む福島第一原発から半径20~30kmは屋内退避指示を行った。その地区に含まれる南相馬市では、大半が屋内退避指示となったが、町に住みつづけ店を開いた石沢さんによると、震災直後は食料がすっからかんの状態だったという。物資を運ぶドライバーが放射能を恐れ町に入ることを拒み、食料、ガソリンなどの物流が止まったためだという。その後、住民1万人以上が取り残されたが、屋内退避から5日後の3月20日に、東京から食料が届いた。

震災翌日、南相馬市の沿岸部の被害は津波により甚大だっただけでなく、原発メルトダウンの一報で今後取材の立ち入りはできなくなった。当時のテレビ朝日編集長である宮川は、当時を振り返りスタッフの安全確保が第一と、取材クルーに沿岸部から全面撤退を指示。その後、取材禁止エリアは半径30km以内だったが、そこにわずかでもかかる自治体全域の取材を禁止することに拡大。安全管理をしていた関川は、この取材制限の理由に、市町村のどこまでが半径30km以内かわからないためだという。さらに宮城から茨城の一部にまで及ぶ広大な取材禁止エリアが生まれた。原発事故当時、福島で取材していた千野は、実際に福島から避難した人に原発以外の福島が報道されない理由を問われ、福島の人の思いが伝わらないと言われたという。さらに、アメリカでは原発から半径80km圏内の国民に避難を呼びかけた。原発事故の取材について、どこが安全かどうかが分からず、さらに宮川、関川は、地元の福島放送には、空間線量を測るサーベイメーターが装備されておらず、知識、経験、装備や情報がなにもないため取材を退かざるを得なかったという。

東日本大震災から1ヶ月、テレビ朝日には視聴者からの抗議メールが1万3000通届いた。送ったうちの一人である但野さんは、息子への放射能の影響を恐れ、2011年5月、南相馬市から群馬県に避難した。当時メールを送った気持ちを聞くと、屋内退避ではテレビを見る以外にすることがなく、そのテレビも計画停電で見られず、取材陣は入れないが、その場所で生活するしかなかったという。テレビ朝日系列の福島放送は、屋内退避エリアの住民への電話取材や、屋内からの取材にとどまった。アナウンサーの笠置は、当時住民から直接SOSが来ており、取材が来ない理由を問われたが、答えられなかったといい、探り探りで最善の方法を伝えていたという。安全確保を理由に取材をやめた背景には、17年前に理由があったという。

 

1999年、JCO東海村臨界事故で放射線を浴びた記者が死亡する重大事故があった。当時のニュース番組では、原発から4kmの場所で取材しており、線源に近づきすぎていた。宮川は、当時放射線の被害は想定できておらず、女性スタッフによる取材や、ヘリによる接近での取材があったという。このときの反省から、取材可能な空間線量の上限を毎時10マイクロSvなどを定めた取材マニュアルを設けた。しかし、5年前の原発事故では、50km以上離れた福島放送の郡山本社でもこの制限を超えた。毎時10マイクロSvを超えた時点で屋内からの取材にとどまり、充分な取材や情報提供ができなかったという。宮川は過去の経験が重しとなり、取り残されているSOSを無視することになってしまったと語る。

テレビへの抗議メールを送った廣瀬さんは、南相馬へ取材が来なかったことに恐れて来なかったのではないかと当時を振り返った。テレビ朝日の水谷は、南相馬への取材を、許容放射線量が低いことを理由に上司に直訴したが、認められなかった。日本では信じられない状況をどうしても伝えたく、返事に納得がいかなかったと当時を語る。河本記者は、被災者が避難した先は安全なためだとして、取材禁止エリアに入り原発作業員の家族を取材した。宮川は、この記者に対して、何よりも取材スタッフの安全を確保したいと答えを出せないでいた。

屋内退避指示から3週間経った4月、ようやく南相馬への取材を再開。町では復旧が始まっていた一方、沿岸部は手付かずな状態を報じた。福島放送記者の高橋は当時をこれ以上ない悲劇だと語った。現在、原発が再稼働するなか、政府は伊方原発原子力災害を想定した防災訓練を実施するも、かつて深刻な状況を経験しながら屋内退避の想定は変わらず。船で逃げるしか無い住民もいるといい、住民は取り残されたら死ぬことと同じだという。テレビ朝日原子力災害取材マニュアルを改訂、高線量でも一時的に取材できるようになった。宮川は安全を確保しつつ取材して報じていくことを忘れてはいけないとした。