Sophists' Almanac

世界について知りたいとき

ソフトバンクの孫正義さん「自殺しようかと思うぐらい悩んだ。それぐらい差別というのはつらい」

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みんなも知ってるよね、

ソフトバンクの 孫 正義(そん まさよし)さん。

 

これも、カッコいいと思った (笑)。

 

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こういう発想が、常に何かを生みだすんだなぁ。

 

佐賀県鳥栖市生まれ。高校入学後にアメリカに留学。

 

ソフトバンクグループの創業者、ソフトバンクグループ代表取締役会長兼社長。そしてヤフー取締役、スプリント会長、アーム会長、アリババ取締役、福岡ソフトバンクホークス取締役などを務める。自身が創業したソフトバンクグループの筆頭株主

 

在日韓国人の孫さんが、アメリカから帰って通名ではなくて本名で起業しようとした、その理由がとても心をうつものでした。

 

孫正義「自殺しようかと思うぐらい悩んだ。それぐらい差別というのはつらい」
2015年7月17日(金)

 

f:id:classlovesophia:20180517013804p:plain(写真=的野 弘路)

 

 ソフトバンク孫正義社長は、在日韓国人という生い立ちから差別を受け続けてきた。幼少期は実生活で攻撃を受け、幼稚園時代には日本人の子供から「朝鮮人!」とののしられ、投げつけられた石で頭から血を流すこともあった。今でもネット上などで罵詈雑言を浴びせられ続けている。

 

 著書「孫正義の焦燥」では経営論に絞るために最低限の記述にとどめたが、孫社長は筆者のインタビューで差別についても語っている。後半で言及する「希望の光」や「ジャパニーズヒーロー」という考え方は、孫社長の事業意欲の源泉でもある。

 

孫という名前を名乗った理由

 

孫という名字を名乗った経緯を改めてお話いただけますか。

孫正義:僕はね、16歳でアメリカに渡るまでは安本正義だった。安本というのは日本の名字だった。

 

 アメリカから戻ってきて会社を創業していく時に、うちの親戚一同が使っている「安本」という日本の名字と先祖代々の「孫」という名字の2つの選択肢があった。

 

 パスポートの本名だとか外国人登緑証の本名の中に孫って書いてある。通名というのは安本と書いてある。

 

 日本社会の中で生きていくのには、安本と名乗ったほうがいい。今の芸能人とかスポーツ選手でもいっぱい日本名を名乗って活動している人がいる。それを非難するわけではないけど、あえて僕がわざわざ逆風の中を孫という名字を親戚一同の中で初めて使ったんだ。

 

 日本にいて今日の今日ですらまだ若干残ってはいるけど、在日という中で、様々なやっぱり目に見えない、言うに言われぬハンディキャップがあるんだよ。

 

 それで悲しんでいる人、苦しんでいる人がやっぱりいるのよ。いい悪いは別にしてね。その理由とか根源とかはちょっと置いといて、生まれながらにしてそういう血で生まれると、言われなき差別を受ける小さな子供がいっぱいいる。

 

 俺は小学生、中学生の時に自殺したいぐらい悩んだんだ。本気で自殺しようかと思ったぐらい悩んだ。それぐらい差別、人間に対する差別というのは、つらいものがあるのよ。

 

「差別反対」と言うより100万倍効果がある

 なぜ僕があえて親族、おじさん、おばさん全員の反対を押し切って1人だけ孫と正式に名乗ったのか。

 

 そうやってつらい思いをしている在日の子供たちに対して、1人でもいいから自分の先祖代々の名前を堂々と名乗って、様々なハンディキャップがあったとしてもそれでもね、それなりにやれるんだという事例を一つ示したいと考えたから。それで希望を得る若者が1人でも100人でも出れば、それは「差別反対」と言って、何かプラカードを出して言うよりも100万倍効果がある。

 

 差別反対なんて言わなくたって、孫と堂々と名乗って、堂々と逆風の中で仕事して、事業して、それなりになればそれはもう100万語しゃべるより、力説するより、そういう青少年に希望を与えられるんじゃないかと思って俺はあえて名乗った。

 

 親戚からは猛反対されたよ。だって小さな社会の中で名前を隠して生きているんだから。「おまえが親戚として1人そうやって孫と名乗ったら、俺らまで全部ばれる」と。

 

家族を巻き込んでしまうのですね。

 

孫:「何だ在日だったのか。在日韓国人だったのか。親戚のおいとか言われて一緒におったな、あれ、孫か。あれ、安本じゃなかったの、えっ、そうか、おまえはキムチ組か」と言われるだけで、おじさんおばさんにとっては迷惑なのよ。止められたんだよ。

 

 それでも俺は、「おじさんやおばさんに俺は迷惑かけるかもしれん。そしたら、俺が親戚だとは言わないでいい、他人のふりしていていい」と言った。

 

 「おじさんおばさんはもう立派な大人で、少々の差別には立ち向かえるだけの力があるかどうか僕は知らんけど、子供たち、青少年が悩んでいる子たちが本当にいささかでも希望の光を得るのに、そんなに俺がそうやってすることが迷惑ならもう他人のふりしておいてくれ。俺はそれでも逆風でも何でもやるから」と。そうやって断言して出ていったんだ。

 

アメリカで生き延びたら希望の光になるかもしれない

 日本の産業界の中で、もうみんな自信喪失して、総崩れ、引きこもりという状況にある。そんな中でもね、我々が1社でも逆風の中を立ち向かって、アメリカではるかに大きな巨体の敵に向かって少しでも、仮に5分の戦いをやれたならば、それなりに生き延びたならばそれは一つの希望の光になるかもしれない。

 

 僕はもちろん政治家でもないし、そういうポジションでもないけど、せめて1つの事例をつくってみたい。

 

 1つの事例をつくることが、その小石が波紋を呼んで、刺激を受ける会社が1社でも10社でもあれば、それが1つの社会貢献だと僕は思っている。

 

日本にも多くの成功事例が出てきてほしいと思います。

 

孫:やっぱり我が社に限らず、柳井さんだとか、永守さんだとか、楽天ディー・エヌ・エーとかいろいろな会社が、一生懸命頑張って日本の若い世代から成功事例が幾つか出てくればね、日本の経済もよみがえる可能性がある。

 

 格差社会反対という、落ちこぼれをどうやって助けるかというのも大事だけど、成功事例を足を引っ張る必要はないじゃんと。成功事例を寄ってたかってたたく必要もないじゃんと。

 

 成功事例はみんなの希望の光で、成功事例がなくなるともうみんな気落ちするよ。(プロゴルファーの)石川遼が出てきたといったらさ、みんなで足を引っ張るんじゃなくて、おお、すげーなと言って褒めたたえないかんわけじゃん。ダルビッシュが出てきた、おお、すげーなと言って、うんじゃあ俺も野球頑張ろうとなるわけですよ。

 

 だから、僕はそういう成功事例をジャパニーズドリーム、ジャパニーズヒーローだと褒めたたえるような社会にすることが一番大切だと思う。


孫正義の焦燥 俺はまだ100分の1も成し遂げていない』
 米国通信事業の低迷や国内通信事業の成長鈍化ーー。ソフトバンクがかつてない経営課題に直面している。孫正義社長はこの難局をいかに乗り越えるのか。孫社長を徹底取材し、ソフトバンクの未来を占う。


大西 孝弘
日経ビジネス記者
1976年横浜市生まれ。「日経エコロジー」「日経ビジネス」で自動車など製造業、ゴミ、資源、エネルギー関連を取材。2011年から日本経済新聞証券部で化学と通信業界を担当。2013年4月日経ビジネス復帰。

 

通名とは。

わかりやすいサイトがあったので、一部引用させてもらいます。

 

www.key-j.net

通名の歴史的経緯‐創氏改名

 在日コリアン通名を使用するようになった重要な歴史的背景として、植民地時代の創氏改名政策がある。創氏改名日中戦争後に強化された皇民化政策の一環として実施されたもので、朝鮮人の姓名を日本式の氏名へ変えさせるという政策である。その最も重要な目的は、朝鮮固有の「姓」を同じくする血族集団中心の家族制度を解体し、日本式の「氏」中心の家族制度を導入して天皇への忠誠心を植えつけることであった。(※朝鮮での名前のあり方-日本と朝鮮の違い)

 

 朝鮮総督府により「朝鮮民事令中改正の件」はじめ関係法令が1940年2月11日に施行された。「朝鮮民事令中改正の件」により、日本民法の「氏」に関する規定が適用され、家の称号として氏をつけること、氏を設定して施行から6ヶ月以内に届け出ること、届出がない場合は戸主の姓を氏とすることなどが定められた。また、「朝鮮人の氏名変更に関する件」により、改名の手続きと氏届出期間終了後の氏の変更手続きが定められた。そして、朝鮮戸籍令の改定によって、朝鮮人の戸籍上の本名は「姓名」から「氏名」に替わり、従来の姓は「姓及本貫」欄に記載することになった。

 政策の施行当初、創氏の届け出をする者が非常に少なかったため、総督府は申告しない人々に次のような圧力を加えた。

1.創氏をしない者の子女に対しては学校への入学・進学を拒否する。
2.創氏をしない児童は日本人教師が理由なく叱責・殴打するなどして児童の哀訴によってその父母が創氏するようしむける。
3.創氏をしない者は公私を問わず総督府の機関に一切採用しない。また現職者も漸次免職措置をとる。
4.創氏をしない者に対しては行政機関にかかるすべての事務を取り扱わない。
5.創氏をしない者は非国民もしくは不逞鮮人と断定して、警察手帳に登録し査察・尾行を徹底すると同時に、優先的に労務徴用の対象者にする。あるいは食料その他物資の配給対象から除外する。
6.創氏しない朝鮮人の名札がついている荷物は鉄道局や運送業者が取り扱わない。
(宮田節子・金英達・梁泰昊:『創氏改名』 明石書店/1992)

 

 最終的に、1940年2月から8月の届出期間中に全戸数の約8割が氏の届出をした。氏の届けがなかった者については法令にしたがって戸主の姓が氏となった。

  

解放後の創氏改名の処理

南北朝鮮における創氏改名の処理

 

 創氏改名は朝鮮民衆の民族的自尊心にとって許容しがたいものであり、解放後すぐに創氏名を捨てて元の朝鮮名を使うようになった。日本名の表札を朝鮮名に戻したり、報道記事において創氏名を使わなかったり、学校などで名簿の訂正が行われたりした。法的処理はしばらくの間手付かずであったが、朝鮮半島南部では1946年10月23日「朝鮮姓名復旧令」が米軍政庁によって公布・施行され、創氏名は無効となり、朝鮮名が回復された。

 ソ連軍占領下の朝鮮半島北部では、創氏改名は「朝鮮固有の民情と条理に符号しない」ため関係条例は効力を失うものとされた。1946年4月までに司法局は北司例第三号「戸籍および寄留事務に関する件」を公布し、戸籍上の創氏改名に関する記載を排除するよう指示した。

 

在日コリアン通名使用の定着
 解放後、朝鮮半島では創氏名の使用がなくなった一方、日本に留まり定住した在日コリアンの多くは引き続き日本的な通称名を使用した。在日コリアンへの差別・偏見が根強い日本社会で朝鮮名を使用することによる不利益を避けるため、日常生活における日本名の使用が定着したといえる。

 

 法制度上の取り扱いでは、1947年5月2日に公布・施行された「外国人登録令」で、在日コリアンは「当分の間、これを外国人とみなす」とされ、「外国人」として登録しなければならなくなった。そして、同年12月21日付けの内務省調査局長通達によって、本名以外に日常使用する通称名を氏名欄に併記または備考欄に記入することとされた。通称名の使用は法的な強制ではなく、また通称名を使用している場合に必ずしも併記登録する必要はなかったが、多くの在日コリアンの間で通称名の使用は慣習化された。