Sophist Almanac

世界について知りたいとき

1749年7月9日 稲生もののけ物語 ~ 庄大夫が幽霊となってうらめしや、いきなり高度な心理戦が展開する

f:id:classlovesophia:20201226073626p:plain

「芸州武太夫物語絵巻」(立花家史料館蔵)

 

稲生もののけ物語、『稲生物怪録』(いのうぶっかいろく)は、江戸中期、寛延2年(1749年)の備後三次(現在の広島県三次市)のひとりの少年が経験した一か月にわたる物の怪との出会いをまとめた記録。稲生武太夫(幼名・平太郎)が体験したという、妖怪にまつわる怪異をとりまとめた記録。毎日毎日、飽きることなくいろんな「もののけ」がやってきます。

 

1749年7月9日 

稲生物語の「ぶっかい」のすごいのは、塩俵や下駄が部屋を飛んでいく、といった牧歌的で単純、どこかユーモラスな視覚的怪奇現象から、いきなりこんな血なまぐさい複雑な心理戦 (psychological warfare) まで仕掛け、平太郎に自を迫ってくるグレードの高さ。

 

まるで不条理小説でも読んでいるかのようで、日本にサイコロジーの訳としての「心理」ということばが存在しない時代だったはずなのだけど、極めて巧妙で繊細な心理とトリックが展開する。7月9日のもののけは、そういう意味で、完全に前日のものとは別物である。

 

『三次実録物語』試訳

 九日の夜、四つ時 (22時) までなんのこともなく、「今夜はもうでてこないのかな」と思っていたところ、露地の戸を外からはずすものがいる。

 

「その戸、家内のものか、いつもやってくるこころやすい者のほかは、外からあの戸を外すことはできないのに、この時期に夜遅くにやってくるなんて、不審だな」と思って、声をかけてみれば

 

「庄太夫だよ」と答える。

 

さて、こまった人がきたな、と思って、「もう寝ているんですが」と言えば、

 

「お前も知っているだろう、家に伝来の名刀を持参してきた。親兄にお願いしてもなかなか貸してくれないから、兄が長持の鍵を枕箱にしまっているのをとりだして、知られぬように長持をあけて、ようやくとりだしもってきてやったのだ。これで今晩、ばけもの退治し、守りがたなの威力を見せてやるよ」と庭からいうので、私は

 

「なかなか刃物ざんまいで何とかいくものではありません。ぜひぜひお帰りください」といいました。

 

その庄太夫というものは、常識をわきまえていない、強情なやつなので、なかなか人並みでなく、それゆえ「なにをしでかすかしれん」と思い、よくよく断りをいったのだが、それにもかかわらず、もう縁側へあがって、西のほうの障子をあけて家のなかに一足踏みこもうとする。

 

ところが、その庄太夫をはねのけ、黒い子犬ほどのおおきさのものが奥へ転げやってくる。また庄太夫が入ろうとすると、石のようなものがまたはねのけ、これをふたつ、ころころ、あちらこちらところげる。それでも庄太夫は家に入り、守り刀の錦袋にはいった真紅のひもを解いて鞆糸 (つかいと) で巻いた刀をとりだして、ころげまわるものを追いかけていこうとする。

 

f:id:classlovesophia:20201226082624p:plain

 

私はそれを引き留め、庄太夫の着物のつま (端) をつかまえて、いろいろ説得するのだが、それでも承知しないでふりきって、おっかけていくのが、庄太夫よりあの転げまわるもののほうが早くて、やがて追っかけて台所のかどに追いつめ、一打ちにふりあげ斬りふせると、火花がぱっとでた。そのひとつは転げず、のこるひとつを追っかけると、あんどんにいきあたり、あんどんを倒してしまって、またすみに追いつめ、振りあげて切るのだが、火花が散るのを、これは私もしっかりみた。

 

「ほれ、へんげのもの、ふたつとも打ち切ってやった。はやく火を灯せ」

 

と庄太夫がいうので、火をともしてみると、前の、すみで切ったといっていたものをみれば、石臼の上台であった。それなら火花がでるのももっともである。また、台所のすみで切ったというものをみれば、これも石臼である。

 

さてこの名剣、石をきったということで、庄太夫があんどんのひでよくよく見てみれば、刃がのこらずこぼれ、三カ所ほど棟に刃がきり入って、何のやくにもたたないものになってしまった。庄太夫はおおいに気にやんで、

 

「この名剣は、家にもこの身にもかえれない。先祖から伝わったものだから、なかなか私が行っても貸してくれないだろうと思い、どうにかお前のところのばけものを退治したいとおもって、盗み隠してもってきたのだが、刀がだいなしになってしまったのでは、さてもさてもお前のことが恨めしい。この件を親に言えば、ただちに手打ちにあってしまうのは必定だ。また兄貴としても、もともと意地悪者だから同じである。そのうえ、さらにはたいそう叱って油をしぼり、そのうえに手打ちにされるのであるから、もう今、ここで自殺しよう」と差し添え (刀に添えて腰に差す短刀) をひねりまわす。私は、

 

「それはおおきな勘違いです。素直に盗みだしたことを言って、あやまりをもうしたらよいではないですか、私も一緒にあやまりにいきますよ」と言ったのに、

 

「かえすがえす、きさまがうらめしい。つまるところは、ばけものを退治して安心させようと名剣をぬすんできたのに、おまえのせいじゃないか、ますます憎らしいばかりだ」という。私は、

 

「それは大きな心得違いです。事前に名刀をもっておいでくださいと私か頼んだのであれば、恨みもありましょうが、私が、刃物ざんまいではとても無理ですと、いろいろ止めましても、ふりきり、むかっていったので、このとおりになったのです」というと、それからは、

 

「ともかく、生きてはいられない」と、脇差をひねくっているので、その刀を抜こうとするならすぐに止めようと、柄をみておると、目の前においていた、ささら箒になってしまった名剣を手に取って、すぐに自分の喉に突きさし、あおむけになって、七転八倒して苦しみだしました。

 

「もはや (刀が) 後ろに五分 (1.5cm) ばかりぬけでているのだから、なかなか助かることはできないだろう」と思っているうち、ほどなく息絶えてしまった。

 

もはや九つ時 (真夜中) にもなっていたのだが、いっこうに「あいよめもなく」(?) 、私が、あいすまぬ、と思って、

 

「もとから非常識な人ではあったが、わたしがそそのかして名剣を盗ませて連れてきて、名剣をささらほうきにさせて、止めることもできず自害させたな、と言われても、もうしわけがたたず、さてさてバカなる人につきあわされ、口惜しいことだ」と、私も生きていられないと思い、脇差をとりだして、自害しようか、とおもったけど、いかにも残念だと、いろいろ考えているうち、はや夜中の一時にもなってしまった。

 

庄大夫をたずねて人がくるかもしれない。そうなれば、このていたらくで、ここに置いておくことはできない。そのうえ、よく考えなけれはならない、と、

 

f:id:classlovesophia:20201227082132p:plain

 

納戸をあけ、つづらをはねあげ、庄大夫を背負って納戸に押しいれたのだが、あとにのこった畳二枚に血のりがこぼれているのをせまい軒と軒のあいだ (ひあわい) にいれて、壁の腰張り (下の部分) にも血のりがついているのをそぎ落とし、それもひあわいに押込み、血のりをこさげおとし、台所の押し入れの畳をそこにひいて、考えたのだが、

 

「とても生きる工面ができそうにない」とおもっているうち、納戸にいれておいた庄大夫が、意識を取り戻したのか、うなる声がでてきた。

 

「あたり近所に聞こえて人が着てはいけない」と思い、そのうえ、「とても助からぬ傷なんだから」と、考えて、喉に刺した刀で、頭を捕まええぐったので、そのまま、元のように息絶えた。

 

さて、よくよく考えれば、私が刀でえぐったのでは、自殺ともいえず、私がえぐり殺したんだ、といわれても、しかたがない。とても生きてはいられない、と思って、また自分で脇差をぬいてみたものの、いかにしても口惜しいことだ、とても言い逃れできないことなら、今でも庄大夫の所在をたずねにこられたら、私の命とりにならないように、へその下を浅く皮を切って「私の命もこのとおりになりました」といって、すべてをはなし、首をえぐったこともはなし、そのうえで自害すべきと心をきめた。

 

門の戸を誰かがたたけば、すぐにへそのの下を切って、そのわけを言おう、と思った途端に、はや、誰かが門の戸をたたく。

 

まず、早まってはいけない。もしかしたら他のものかもしれない。影山家のひとであれば、門に待たせておき、家にこっそりともどって、それから右のように自腹斬り、詳細をありのままに語って、そのうえで死んだらいい、とおもって、門をあければ、

 

なんと予想は外れて、庄大夫の幽霊が青かたびらを着て、首につっこんだ名刀を喉に突っ込んだままで、私がえぐった跡もみえ、もとからやぶにらみの目をさらに光らせ、

 

「さてさて、うらめしいひとだ、私一人が命を捨てたのですか。今、わが命を惜しみ、自害しないのは、ほんとうに七生生まれかわっても恨みますよ。早く死ね」と、苦しい声でいうのです。

 

f:id:classlovesophia:20201227090548p:plain

 

「前から言っているように、私が頼んでもないのに、家の名高い名剣を盗み持ちだして、親の罰当たりに石臼を切り、名剣がどうしようもなくなったから、言い訳もなく、その名剣で自害したというのに、私に恨みを言うのか、金輪際どこまでも断じて死んだりはしない」

 

といってとびかかり、幽霊を捕まえようとしたが、そのとき妙栄寺の半鐘の音がきこえてきた。

 

「なんと、夜が明ける」とおもううち、むかいの吉村家の飛び石も見え、壁も見えるようになったが、つかまえた庄大夫の幽霊も消えてしまった。まったく私は途方にくれて、しばらくその場所を動くことができなかった。

 

突如、かぜおとたち、夜明けがきたので、家にはいり、納戸にいれた庄大夫の体はなくなり、つづらばかりがあり、ひあわいにいれておいた畳をみれば、血のりがついていないものを入れ、腰張りを剥いで入れたものも同様に血のりなどついていない。

 

さてもさても危ういことであった。

 

その以後では、もう、まことの人も疑わしく思えるようになってしまった。

 

うわー、まじかよ。

 

もののけの心理戦で、なんと平太郎は悪夢のなかとはいえ、自分の手で庄大夫のくびをえぐりきってしまい、その罪から、自分の死を何度も考える。まるでハムレットみたいに何度か脇差自死しようかと考える。

 

三十日間のもののけとの出会いで、これほど心理小説的なぶっかいはない。

 

夜明けとともに、たちの悪い悪夢から目覚めるのだが、そのとき「かぜおとたち」、我に返って家の中に入るという、そこで読み手もいっきに長い長い悪夢から目覚め、日常世界にひきもどされる。

 

もののけのグレード高い。

高すぎる。

 

---------------

三次でよく使われることば

こころやすい = 親しい

こかす = 倒す

 

 

廂間(ひあわい)

金輪奈落 (こんりんならく) どこまでも、断じて、絶対に

颯立 (かぜおとたち) ・・・呆然と立ちつくして、我に返る時の表現が、なんとも文学的な生き生きとした。