Sophist Almanac

世界について知りたいとき

War and Peace ① 立命館大学の学徒出陣 - 立命館大学学生 3,000人が学徒出陣、そして1,000名が戦争で命を奪われた。

子どもの頃は、戦争の話を語るのは、みんなじいちゃんばあちゃんだったから、

 

戦争は遠い昔のことで、お年寄りが戦った戦争なんだと、どこかで思ってた。

 

でも、歴史を勉強しててわかったことは、戦場に送られたりしていったのは、むしろ10代20代の若者たちだったと、傷つき死んでいった多くの犠牲者は子供たちだったと、

 

まあね、当たり前のことなんだけど、やっと実感としてわかってくるわけで。

 

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 学徒出陣壮行会に向かう立命館大学学生(1943年)1943年10月、戦局の悪化に伴い、大学の学生や大学予科、高等学校、専門学校等の生徒(総称して「学徒」という)の徴兵猶予が停止され、将来有望な多くの学徒が戦地へと出征した。

 

今の安倍政権が教育費や研究費の公的資金をどんどん削り、一方で軍事研究に参入すれば国から潤沢な資金を受けることができるよ、などと、

 

そんな汚い政治的圧力をかけられても、絶対にここだけは譲れない。大学は戦争には加担しないという誓い。

 

その理由はいったいなぜなのか、今日はすこし学んでみたい。

 

戦地で命を奪われた 1,000 人もの立命館大学の学生たち

 

学徒出陣 - Wikipedia

学徒出陣とは、第二次世界大戦終盤の1943年昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人朝鮮人満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。学徒動員と表記されることもある。

 

COOPのこれ知ってる!?-web RUC-立命館生活協同組合

現在は『平和と民主主義』を教学理念として掲げている立命館大学ですが、

 

戦時中は東京大学京都大学といった国立大学や早稲田大学慶応義塾大学などの私立大学と同様に、戦争政策に深く組み込まれていきました。

 

その政策の中で、立命館大学でも学徒出陣を決め、多くの学生が徴兵され、尊い多くの若い命が死への道を歩むことを余儀なくされました。

 

徴兵以外にも、ほとんどすべての学生が勤労動員に行かされ、兵器などの生産・防空壕の建設・建物疎開など、直接戦争の遂行に役立つ勤労奉仕をさせられていました。

 

立命館大学の学生は愛知県の豊川海軍工廠や、舞鶴舞鶴第三海軍火薬廠をはじめ、現在判明しているだけでも30を超える工場に延べ3000人近い学徒が派遣されていました。

 

戦後、戦没学生記念会が発足し、『戦争中に手が血にまみれていない芸術家』本郷新氏が『わだつみ像』を製作することが決まりました。1953年立命館大学の末川博総長が『わだつみ像』を引き受ける意思を表明し、現在は立命館大学国際平和ミュージアムに置かれています。

  

多くの大学から集められた学生たちが送りだされる出陣学徒壮行会(1943年昭和18年)10月21日)

戦意高揚のために出陣学徒壮行会をドラマティックに演出し、それをNHK が2時間半にもわたって報道します。

 

出陣学徒壮行早慶戦

慶応大学では・・・

ニュース:[慶應義塾]

翌1944年、さらに45年4月入隊の塾生を含めて、出陣学徒数は約3500名と推測されている。現在までにわかっている範囲で、在学生のおよそ385名が戦没している。また出陣学徒以外の卒業生・教職員なども含めた義塾関係者全体の戦没者は、確認されているだけで2220名を超える。