歴史修正主義 (historical revisionism) ってなに? 否定論者 (deniers) は何を主張しているの? 南京事件の歴史修正主義を検証
みんな~!
動画やっとでたよ~!
これ、画像直ぐ消されると思います。だから、消されないうちに早く!パソコンなどでレクチャーノート取りながら見だほうがいい〜。
いろんなフェイクニュースがネットで飛び交っているなか。
本当はどうだったの ?
1937年、南京でなにがおこったの ?
Nanjing Massacre
※ うわぁー削除されてた。ちゃんとしたドキュメンタリーはすぐ削除されてしまい、結局、youtube は歴史修正主義で飽和状態です。学生さんに聞くと、Youtube しか見ないという若者も多い中でほんとに心配になってきます。新しいリンク張っておきますね。
先週のこのドキュメンタリーはおおきな話題になりました。
そうした歴史検証こそが、いま吹き荒れる歴史修正主義 (historical revisionism)、つまり、ホロコースト否定論と同様、日本にある南京大虐殺否定論、日本軍は悪いことはしていないんだと主張する修正主義主義者へのファクトチェックになっています。
戦後すぐに焼却されるよう命じられた軍の公式記録は、実は防衛省内に残っていた。誰かが命がけで残してくれていたのかもしれない。ところが、終戦からおよそ五十年が経過した 1996年、防衛省の敷地内で大量の灰や焦げた紙の束が発見されました。
五十年もひっそりと生き延びてきた日本の戦争資料は、再びこうやって焼却され隠滅させられてしまったのです。
誰かが戦後すぐの焼却処分の命令をかいくぐって残してくれていた公文書を、大切な大切な戦争資料を、なぜ政府は燃やしてしまったのか。
その燃え残りの紙片 (市ヶ谷台資料) からこのドキュメンタリーは始まります。
日本政府が焼却した、その焼け残りの政府の公文書、兵士たちの日記など歴史の一次資料、そして200名以上の証言記録をたどり、明らかにされる南京大虐殺の真実。メモを取りながら、じっくりとみてみましょう。
1、便衣兵説
便衣兵だった (兵隊が民間人の服を着ていただけだ) から殺されて当然だという説 ← 日本軍が包囲し捕虜にして武装解除させた人たちであるから武器を持っているはずがない。日本は捕虜をとりませんでした。
米軍が沖縄でやったような巨大な施設を作って地元の住民や兵士を捕虜として収容し管理することなんて、とてもできなかったし、その気もありませんでした。だって、日本兵として送りだした兵士にすら、物資を送るなんて発想はなく、食料も生活必需品もすべて占領地で調達することが前提でした。
西欧では戦争の際に、戦略 (strategy)、戦術 (tactics) と同時に、兵站 (logistics) を最も重要な戦争要因として重要視するわけですが、日本には兵站 (へいたん) あるいは、ロジスティクスなどという概念がほとんど存在しなかった、これが日本の戦争を極めて残虐極まりないものにさせていったといってもいいでしょう。
つまり、物資の調達も基本占領地でまかなう原則 → 略奪・強姦などが増える。そして捕虜 (Prisoners of War) を保護するというハーグ陸戦条約も守られることなく、上記の理由で日本兵ですら食べ物に苦慮する状態のなか、大量の捕虜を収容する施設も、そして捕虜を養う食料も実質なかった。というか、そもそも大義ばかりを論じることの多い日本では、戦争で派生する様々なことはほとんど顧みられることはなかったのでしょう。ロジスティックスは存在しなかったのです。
2、捕虜解放の際の暴動が引き金になったという説
このドキュメンタリーのすごいところは、その説の最初の新聞記事をたどり、その記事を書いた記者に取材しているところです。この説を言いだした人物は現場の兵士ではなく、現場を知らない上官が戦後に新聞記者に語った話だったのです。
ドキュメンタリーのなかで、記者はその記事を書いた人物を探しだして取材します。
徹底した歴史検証。
歴史修正主義はどのようにして生まれていくのか、その現場を取材・検証したすばらしいドキュメンタリーです。