Sophist Almanac

世界について知りたいとき

アーキビストとは

 

アーキビスト、とは

 

日本では、まだまだアーキビストって !? というかんじで、やっと今年 (2020年) から国立公文書館が正式に高度な専門職であるアーキビストの認証制度がスタートしたばかりなので、ほんと、すごい隔世の感ある

 

アーキビストとは何なのか、簡単にまとめしておきたいと思います。

 

アーキビスト (archivist) とは !?

アーキビスト (archivist) とは !?

archivist = アーカイブス (archives) の収集・分類・保管の責任者、公文書係、記録係官 (研究社リーダーズ)

 

じゃ、アーカイブス (archives) とは

archives = 公記録 (公文書、古文書) 保管所、公記録、公文書、古文書 [F<L<Gk.=public office (arkhē government)] (研究社リーダーズ)

 

ここで注目したいのは、その語源、つまり語の歴史。archive は、もともとはギリシア語で  ἀρχεῖον (arkheion) つまり public office = 役所 government = 政府 が言葉の元となっています。文字通り、記録 = 歴史を残し保管するのは役所・政府の仕事そのものであるということです。

 

これは、日本の政府が公文書をどのように扱ってきたのかを知れば、とても皮肉なことのように思われます。

 

公文書まで「怪文書」と呼んだ菅総理

sophist.hatenablog.com

 

国立公文書図書館の archivist の定義を見て見ましょう。

 

 アーキビスト(Archivist)とは、公文書館をはじめとするアーカイブズ(Archives)において働く専門職員を言います。

 

 アーキビストは、組織において日々作成される膨大な記録の中から、世代を超えて永続的な価値を有する記録を評価選別し、将来にわたっての利用を保証するという極めて重要な役割を担います。アーキビストが存在しない組織では、その時々の担当者の考えや不十分な管理体制によって、本来は残されるべき記録が廃棄されるなど、後世に伝えられるべき重要な記録、さらにその記録をもとに記されるはずの歴史が喪われてしまう恐れがあります。

 

 このような重要な役割を担うアーキビストには、高い倫理観とともに、評価選別や保存、さらには時の経過を考慮した記録の利用に関する専門的知識や技能、様々な課題を解決していくための高い調査研究能力、豊富な実務経験が求められます。

国立公文書館、2020年度のアーキビスト認証を開始:申請方法等を示した『令和2年度 認証アーキビスト 申請の手引き』など関係文書をウェブサイト上で公開 | カレントアウェアネス・ポータル

 

政府によって都合の悪い事実や記録がこの世から消し去られていくのを防ぎ、全力で公文書を守るひとたちが、アーキビストということになります。いわば記録=歴史を守る静かで果敢なアカデミック・ソルジャーですね。

 

この動きの背景には、上記のサイトにもリンクがあるように、日本の研究者たちが、政府の公文書の「不適切な管理」に対して厳しく抗議してきた背景があります。

 

今年三月の日本歴史学協会の抗議文には、公文書がなぜ民主主義の根幹なのか、その要点が凝縮されています。少し長いですが、じっくり読んでみましょう。

 

近年、国による公文書管理について、次々と重大な問題が生じている。

 

発端は、南スーダンのPKOに派遣されていた自衛隊の日報について情報公開請求があった際に、一度は廃棄したとされたものの後に存在が判明した件である。

 

その後、安倍総理夫人が関わったとされる森友学園への国有地売却問題では、財務省が決裁文書を廃棄しただけでなく、改ざんを行っていた事実が国土交通省に存在した文書との相違から発覚した。なお、この改ざんに関わったとされる近畿財務局の職員が自殺していたことも報道されている。

 

また、加計学園の獣医学科新設に際して、安倍総理の知人である同学園理事長の加計氏に対する便宜供与があったとの疑惑の件では、柳瀬元安倍総理秘書官が愛媛県職員と面会し、その際に「首相案件」と発言していたことが県側の公文書に記されていたにもかかわらず、柳瀬氏は面会を含め一連の発言は一切なかったと主張した。これらのことは、いみじくも国の公文書管理の実態のみならず、公務員としての倫理性やその矜持に関わる重大な問題を露見させる結果となった。

 

さらに今年度に入ってからは、安倍総理主催の桜を見る会の招待者名簿に関わる公文書の有無や管理をめぐって、国会で野党の追及が継続中である。

 

直近では、新型コロナウイルス感染症への対応に関する政府決定に至る関係会議議事録が未作成だったことについて野党から指摘され、行政文書の管理に関するガイドラインに示された「歴史的緊急事態」に指定されたことを受けて、議事録作成を義務化する始末である。

 

公文書は、文字通り「公の文書」であり、その作成~管理~公開におけるプロセスが国民に対して明確であることは、民主主義の根幹である。情報公開と公文書管理は車の両輪であり、双方が正しく機能することで、この国の記録管理体制が将来にわたって保証される。それらを支える法として「情報公開法」と「公文書管理法」「公文書館法」が存在しているが、安倍政権下における一連の公文書管理問題では、情報公開請求のあった文書の保存年限を変更、廃棄したほか、文書そのものを不存在・不作成とするなど、関連法令を無視し、政権に忖度した官僚の横暴振りが露わとなっている。

 

公文書は、現在の国民のためのものだけではない。いまは非公開文書であっても、「特定歴史公文書等」として国立公文書館に移管・保存され、非公開期限を越えて公開される流れは、「公文書管理法」に規定されているとおりであり、将来の国民がこれらの公文書を閲覧できる権利を保障しなければならない。

 

また、公文書が歴史的事実を検証する歴史資料として極めて重要であることは、これまで近現代公文書によって新たな研究が進められてきたことからも明らかである。為政者の都合により公文書が現用段階で廃棄されることで、歴史的事件の検証が将来に期待できないことは、誠に忌々しき状況であると言わざるを得ない。

 

現在、「特定歴史公文書等」の保存・公開を担う国立公文書館において、公文書管理の専門職であるアーキビスト認証制度の準備が進められており、各省庁へも公文書管理の専門職派遣が検討されている。その専門職認証にあたっても政権偏重の制度にならないよう、倫理性の担保と人材の養成について関心が高まっている。

 

発足以来、公文書はもちろん歴史資料や文化財の保存・利用問題に取り組んできた日本歴史学協会は、今回の一連の公文書管理に関する政府の暴挙に対して厳重に抗議するとともに、民主主義の根幹となる公文書の将来にわたる適切な保存・管理と利用公開を政府および関係各省庁に対し強く要請するものである。

2020年3月21日

 

日本歴史学協会 

会長 中野 達哉

 

 

このようにして、やっと今年1月から公式のアーキビスト認証がスタートするわけですが、このような学術界からの批判と抗議を受け続けてきた安倍政権で官房長官として采配を振るってきた人物が、今年9月16日に政権を受け継いだ時、まず行ったのが、日本学術会議の任命拒否と学術界へのあからさまな政治恫喝でした。政権擁護のため学術会議に様々なデマが拡散され、政府批判を逆に学術会議批判にすり替えたことも典型的な政治手法でした。

 

ファクトとファクトの記録、歴史と歴史学者は、実は民主主義をチェックする力強い守護者であり、その国の学問の中立性は、その国の国民の未来を守る最後の砦です。

 

NHK のアンカー有馬さんがやんわり過ぎるぐらいに学術会議任命拒否問題に質問しただけで、手を振って怒りを爆発させる菅さん。党派政治と男性中高年に「偏ってる」のは菅政権だと批判されてるにもかかわらず、この収録の後、官邸は NHK にまで電話で恫喝入れたということです。

 

  

どのように日本の政治が公文書を毀損することによって民主主義政治をゆがめてきたのか、は、のちに確認することとして、今日はこのアーキビストの仕事についてフォーカスしてみたいと思います。

 

私の中で、最も尊敬するアーキビストはこの人、

 

この人に注目 !  アーキビスト 仲本和彦 さん

仲本和彦
仲本和彦

f:id:classlovesophia:20201128105331p:plain

島尻郡南風原町。赤瓦の寄せ棟造りの立派な建物の中には、米国立公文書館(NARA)などから収集した大量の沖縄統治に関する米政府資料のコピーが保存されている。文書約400万ページ、写真約2万6000枚、映像1000本弱。その収集を担った一人がアーキビストの仲本和彦さん(52)だ。

 

元々中高一貫校の英語教師だったが、米国の大学院で公文書管理を学び、故大田昌秀元知事の肝いりで設立された沖縄県公文書館の専門員として米国に滞在。2006年春に帰国するまでの9年間、米軍の沖縄統治にかんする資料の収集に明け暮れた。… (中略) …

島尻郡南風原町。赤瓦の寄せ棟造りの立派な建物の中には、米国立公文書館(NARA)などから収集した大量の沖縄統治に関する米政府資料のコピーが保存されている。文書約400万ページ、写真約2万6000枚、映像1000本弱。その収集を担った一人がアーキビストの仲本和彦さん(52)だ。元々中高一貫校の英語教師だったが、米国の大学院で公文書管理を学び、故大田昌秀元知事の肝いりで設立された沖縄県公文書館の専門員として米国に滞在。2006年春に帰国するまでの9年間、米軍の沖縄統治にかんする資料の収集に明け暮れた。

 

仲本さんは、元々は歴史学に興味があったという。だが、米国で記録管理について学ぶうちに、「米国の記録管理のすさまじさを伝えたい」と思うようになった。「米国において記録がないのは歴史がないのと同じ。また、強烈な民主主義の意識に驚いた」。自分が集めた「宝の山」から本や論文が世に出ることに複雑な気持ちが全くなかったわけではない。しかし「アーキビストは自分の興味のある資料だけに関心を持ってはいけない。その仕事は地図作りに似ている。一般の利用者にいかにアクセスしやすくするかを考えて目録を作る。それは鉱山の探査隊でたとえると『フロンティア』のようなもので、わくわくする作業でした」と話す。

沖縄にとっての「記録」とは 県公文書館を訪ねて考えた:朝日新聞GLOBE+

 

これはぜひ読んでおきたい ▼ 

  1. 沖縄県公文書館における戦争関連記録の保存と継承―開館20年の蓄積―沖縄県公文書館指定管理者(公財)沖縄県文化振興会 仲本 和彦
  2. 日本・アメリカ・沖縄の記録から見えてくるもの - 札幌市

 

日本と戦争によって記録を奪われていった沖縄の歴史、そこからひとつひとつ記録を掘り戻し取り返していく地道な作業。沖縄公文書館の歴史は、歴史、記録というものの大切さを、読む私たちに体感させてくれます。

 

先に触れたように、沖縄戦の最中、日本軍や住民の記録はほとんど残ることがなかった。一方、米軍は戦闘中でもしっかり記録を残した。1970 年代後半に、それらの記録が米国国立公文書館で公開され始めると、人々は米軍の記録管理のすさまじさに驚いた。米軍は砲弾が飛び交う中、自軍の作戦だけでなく、 日本軍や住民の様子も詳細に記録に残していた。中でもスチール写真と動画フィルムの発掘は、多くの県民にとって衝撃的だった。 30 年以上前の沖縄戦の風景が鮮明な画像で再現されたからだ。

沖縄県公文書館における戦争関連記録の保存と継承

 

日本軍は首里城の地下に拠点を構え、地形と民間人とをいわゆる「寝技戦法」とよばれる持久作戦をとっていったけれども、その際、首里城などにある沖縄の歴史的な文物や記録を保全するという当然なされるべき措置もとられなかったため、沖縄戦は、沖縄の4人に1人の命を奪う恐ろしい戦場と同時に、島の歴史と文化を灰燼に帰すものでした。

 

戦場に送られた沖縄の学徒兵のうち、その半数以上の学徒が命を奪われました。

 

battle-of-okinawa.hatenablog.com

 

 

沖縄の男子師範学校でも多くの学徒兵が切り込み (爆弾箱を背負って敵に突っ込む) などを命じられ命を落とす中で、一人の学徒は、もし自分が「九死に一生を得て生き延びたら、この戦争の実態、民衆がいかに駆り出されたのかを明らかにしたい」と心に誓い刻みます。最期までゲリラとなって戦えと徹底的な教育と指令をうけていた沖縄では、日本が8月に終戦を迎えてもなお、「戦争」は終わらなかったのです。この青年が米軍に救出されたのは10月になってから。そして米軍占領下でアメリカ留学。沖縄戦を研究する歴史学者から、後に沖縄県知事になった大田昌秀元知事です。

 

大田知事の仕事は、まず日本政府の黙認押しつけ政策のもとで沖縄の圧倒的な土地を占領し未だ軍政下のような横暴を続ける現実との闘いと、同時に、沖縄の歴史を平和記念資料館や沖縄公文書館の設立に取り組みます。自身が沖縄戦研究者として米国立公文書館に通い、米軍の記録した写真や資料を収集する仕事を継続すべく、アーキビスト仲本さんを送りこみ、何年にもわたって資料の収集をすすめたのです。

 

アメリカはどんなに都合の悪い情報でも詳細に記録に残し、月日が経てばその機密情報は市民に公開される。こうして戦中だけではない、戦後のさまざまな密約や核などの機密情報も、どれだけ日本政府が否定しようと、米国が開示請求によって公開した資料から今、私たちは真実を知ることができるわけです。

 

公文書に関する、違いすぎる「意識」の違い

一方、日本では、歴史や伝統を大切にするといいながら、記録はとらず、残った記録も紛失や焼却。いまも戦前戦中と同じ都合の悪い記録は「ない」ことにされてしまう。その連続です。

 

陸上自衛隊の「日報」、森友・加計学園の資料、「桜を見る会」の招待者名簿……。安倍政権では公文書のずさんな管理が次々と発覚した。これらを受け、国立公文書館は、公文書管理の専門家である「アーキビスト」の認証制度を創設することを発表した。今年9月末まで申請を受け付け、来年1月に認証アーキビスト1期生約70人が誕生する。行政による不都合な書類やデータの隠蔽を、防ぐことができるのだろうか

 
公的な「認証アーキビスト」創設へ

皇居の北側に、日本の近現代を検証するうえで欠かせない歴史的文書が多数収蔵されている建物がある。行政機関で作成された文書=公文書を保存・管理し、2014年までに所蔵量(文書を積み上げた高さ)59キロメートルを誇る国立公文書館だ。

 

f:id:classlovesophia:20201128123729p:plain

国立公文書館(東京都千代田区、撮影:岩崎大輔)

 

日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約及び関係文書をここに公布する>という一文。さらに、「裕仁」と「内閣総理大臣 岸信介」の署名がある。1960年6月23日に記されたこれは、日米安全保障条約が改定された際の文書だ。また、1945年8月14日に発布され、<朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ……>という一文で始まる終戦詔書もある。

 

f:id:classlovesophia:20201128123809p:plain

日米安全保障条約が改定された際の文書(撮影:岩崎大輔)

 

その公文書館が昨年12月、新たな制度を創設することを発表した。どの公文書を残すべきかを、認定された専門家が判断する「認証アーキビスト」(archives=公文書の意)制度だ。同館首席公文書専門官の幕田兼治氏が言う。

 

「近年、一連の不祥事を受け、公文書に対する信頼が低下し、行政に対して不信があります。公文書への不信の払拭や信頼回復は霞が関全体で急務です。そこで2018年6、7月に『行政文書の管理の在り方等に関する閣僚会議』が行われました。ここでの議論から、専門的知識を持つ職員を国立公文書館から派遣する仕組みを検討し、アーキビストの役割が注目され、(認証アーキビストが)創設されることとなりました」

 

認証アーキビストの申請は今月いっぱい受け付けられ、来年1月に1期生約70人を認証し、2026年までに約1000人(認証アーキビスト約400人、実務経験の少ない准アーキビスト約600人)を目標に認証する予定だ。

 

認証アーキビストは、行政機関が作成した公文書から歴史的な価値を勘案して保存する必要があるかどうかを判断するとともに、適正な公文書管理を支える。公文書の価値を評価する能力が求められるため、政府や自治体で公文書に携わった実務経験がある人、あるいは公文書に関する学術的な研究をした実績のある人が「認証」の対象になる。審査は公文書館アーキビスト認証委員会の有識者が行う。

 

f:id:classlovesophia:20201128123939p:plain

(図版:ラチカ)

 

ただ、認証アーキビストの創設は、実務に携わる人を増やすことだけが狙いではないと幕田氏は言う。

 

「『認証アーキビスト』という存在自体が、霞が関(の官僚)全体に公文書に対する意識改革を促せると考えています」

 

そうした問題意識の背景にあるのが、繰り返されてきた公文書のずさんな扱いだ。

 

安倍政権で頻発した公文書問題

7年8カ月という憲政史上最長に及んだ第二次安倍政権だったが、この間、繰り返し取り沙汰されたのが公文書をめぐる問題だった。

 

2016年、南スーダン国連平和維持活動(PKO)での自衛隊の日報について、ジャーナリストが防衛省に情報公開請求したところ、防衛省は「廃棄」と回答したが、隠蔽していたことが翌年発覚した。

 

2017年にわかった森友学園問題では、翌年、財務省本省の指示で近畿財務局の職員が土地取引の書類の書き換えをしていたことが判明。担当職員は事情を書き置きし、自らの命を絶った。

 

f:id:classlovesophia:20201128124102p:plain

森友文書改ざん問題で答弁する安倍前首相(2018年3月、参院予算委員会 写真:つのだよしお/アフロ)

 

同じく2017年に明るみになった加計学園問題では、安倍前首相と旧知の仲である加計孝太郎理事長が首相官邸に入っていた疑惑が2018年に持ち上がったが、当該日の官邸の入邸記録は廃棄されていた。

 

2019年の首相主催の「桜を見る会」問題では、招待者の中に安倍前首相の後援者が大勢含まれていた。招待者名簿は野党議員の資料請求の1時間後にシュレッダーにかけられていた。

 

f:id:classlovesophia:20201128124202p:plain

2019年4月に開催された「桜を見る会」(写真:つのだよしお/アフロ)

 

このように、安倍政権の後半では毎年のように公文書で問題が起きていた。取材をした毎日新聞社会部の大場弘行記者は、想像以上の隠蔽体質に遭遇したと語る。

 

「官僚たちは記録をもっているのに、出さない。それは非常に巧妙でした」

 

隠蔽のやり方はおもに三つ。

「公文書を私的文書にすり替える」

「文書をつくらない」

「文書の存在をわからなくさせる」だ。

 

 

f:id:classlovesophia:20201128124306p:plain

(図版:ラチカ)

 

2009年に成立した公文書管理法で行政文書の定義は「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書」とされており、保存するのは政策の立案過程が後に検証できるようにするのが狙いだ。しかし、公文書管理の運用に問題があったと大場氏は言う。

 

「たとえば官僚は政策や法案をつくる際、メールを使って同僚や他官庁と連絡をとるケースが増えているのですが、そのほとんどは公文書として扱われていない。彼らはそれを『私的文書』『電話で話すのと同じで文書じゃない』と言うのです。明らかに公的な業務についてのやりとりなんですが」

 

f:id:classlovesophia:20201128124420p:plain

毎日新聞社会部・大場弘行氏(撮影:編集部)

 

官僚はたいていメモをとっていると大場氏は言う。とくに政治家とやりとりをした場合、政策立案に影響があり、何かあったときに身を守るためにもメモで残す。「マル政」案件と隠語で呼ぶが、こうしたメモは公文書としては残されていない。

 

また、自分たちが作成した文書についての保存と廃棄の基準も曖昧だと大場氏は指摘する。

 

「公文書の扱いとして、どの文書を1年以上保存し、どの文書を1年未満で廃棄するのかの判断は各府省庁に委ねる仕組みのまま。そのため、担当者たちで恣意的に管理できてしまう。『桜を見る会』の名簿が廃棄されたのも、保存期間が1年未満の文書に分類されている、との理由からでした」

 

また、「文書をつくらない」というケースにも驚いたと大場氏は言う。2001年施行の情報公開法で、行政文書は開示請求すれば誰でも閲覧できるようになった。だが当然、「存在しない文書」は請求できない。だからこそ、「つくらない」ケースが出てくるようになった。

 

f:id:classlovesophia:20201128124535p:plain

佐川宣寿氏への証人喚問(2018年3月の参院予算委員会 写真:Motoo Naka/アフロ)

 

出てこなかった首相の面談記録

大場氏の情報公開請求で1件も出てこなかったものがある。安倍前首相と各省の幹部との面談記録だ。首相動静を見れば、年間1000件近く首相と省庁幹部は面談していることが明らかだった。また、2017年12月、公文書管理のガイドラインが改定され、重要な打ち合わせをした場合、日時、参加者、やりとりの概要を記録するよう義務づけられた。

 

しかし、ガイドライン改定後から約1年分、首相と省庁幹部の面談記録を大場氏が請求したものの、1件も出てこなかった。

 

f:id:classlovesophia:20201128124625p:plain

首相官邸(写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート)

 

理由は簡単だった。首相へのレクチャー(説明)の際、総理執務室に入れるのは局長など幹部クラスだけで、メモをとるための随行者は入れないようにされているという。

 

「官僚側はどう残すのかといえば、執務室に入った局長が省庁に戻り、課長を呼んで、総理から聞いた内容を話して聞かせ、メモにとらせる。つまり、直接執務室にメモ要員は入れないということは、『総理の言動をいちいち残すな』という意思だということでしょう。公文書にするな、と単純に脅すのではなく、メモ要員を執務室に入れさせないことで、官邸の意思を忖度させるのです」

 

そして、公文書を残しても「文書の存在をわからなくさせる」手法もある。国の制度では、公文書を綴じたファイル名を政府のウェブサイトで公表しなくてはならない。ところがファイルに「イラク人道復興支援」といった具体的な名前を付けず、「報告書」「運用一般」などきわめて抽象的な名前で保存する。これでは第三者が当該文書を探そうとしても、手がかりがつかめない。ただ、この手法については安倍政権で始まったものではなく、2001年の情報公開法施行当時から連綿と官庁で行われてきた慣習だと大場氏は言う。

 

「こうした『ファイル名ぼかし』を一部の省庁では『丸める』という言い方をします。長く続いてきたことなので悪いと思っていない。その意識自体が問題だと思います」

 

f:id:classlovesophia:20201128124732p:plain

2018年4月に公表された、自衛隊イラク派遣時の活動報告。黒塗り部分も少なくない(撮影:八尋伸)

 

安倍政権では公文書を軽んじたことで、いくつもの問題が生まれた。だが、国の重要情報を国民に知らせないようにしてきたのは、長く官僚機構の間で浸透していた意識のようにも映る。

 

なぜなら75年前の終戦時、多くの公文書を焼却するなど、公文書への意識がひどく欠けていた歴史もあるからだ。

 

公文書焼却で不利になった東京裁判

「公文書管理の違反に対してさまざま議論はありますが、罰則を設ければいいという話ではないと思います」

 

日本の政治外交史に詳しい学習院大学井上寿一・前学長はそう指摘する。今年6月まで内閣府の公文書管理委員会で委員を務めた。

 

f:id:classlovesophia:20201128124850p:plain

井上寿一学習院大学前学長(撮影:編集部)

 

「罰則で厳しくすると、かえって文書を作成しなくなる恐れもあります。官僚の公文書管理への意識を大きく変えていかないと、同じことは繰り返し起きうると思います」

 

井上氏が各国の公文書管理の実情を調べたところ、日本は欧米諸国を始め、韓国、台湾、シンガポールよりもアーキビストの数や予算などで格段に劣ることに気づき、愕然とした。1980年代に井上氏は英国で公文書を調べる機会が多くあったが、当時から英国の公文書の保存と利用は優れていたという。

 

「たとえば英国の公文書で、1930年代の資料を読めば、重要な政策の意思決定過程が正確に再現できるほどに資料が保存されている。文書作成者のコメントまで残されている。翻って、同時期の日本の資料といえば、たとえば他の省庁と比較すれば記録保存の意識の高い外務省でも、細かいプロセスを再現できるほど資料は残されていません」

 

そうした公文書の軽視がもっともよく表れたのが、終戦前後の焼却だろう。敗戦が決定的になると、戦争犯罪で裁かれるおそれがあると気づいた陸海軍や内務省、外務省の中枢は公文書の焼却に踏み切った。

 

f:id:classlovesophia:20201128125004p:plain

自衛隊市ヶ谷駐屯地で発掘された、敗戦直後に旧陸軍に焼却されたはずの軍文書の複写物。防衛研究所にて焼け残った文書を収集、修復された(出典:文庫-市ヶ谷台史料-16 昭和16年帝国陸軍国土防衛計画<改訂>、文庫-市ヶ谷台史料-44 受電綴<其一>昭和20年8月、文庫-市ヶ谷台史料-47 受電綴<其四>昭和20年8月 防衛研究所戦史研究センター所蔵)(撮影:八尋伸)

 

だが、こうして公文書を大量に焼却したことで、東京裁判で不利になったこともあると井上氏は指摘する。

 

焼き過ぎてしまったということです。反論できる資料があったのに廃棄した。それで反論ができずに罪が重くなってしまいました」

 

東京裁判では、日本政府は陸軍主導で開戦に踏み切ったと解釈されている。ところが、現在残っている資料を読むだけでも、当時は外務省と陸軍の対立があり、開戦には陸軍よりも海軍の方が積極的だったことがわかるという。

 

「陸軍トップの東条英機A級戦犯となりましたが、開戦前は外交交渉で和平の道も探っていました。もっと資料が残っていれば、反論できたはずです。日中戦争が起こるまでの閣議決定はほとんど残っていません。もし残っていれば、廣田弘毅(元首相)も極刑を免れることができたかもしれません。一見すると不利な資料もその他の資料と読み合わせると、本当はこう言いたかったのではないか、やむを得ずこうなったのでは、と多様な解釈につながります。反論できる資料が残っていれば、後世での印象も異なったはずなのです」

 

f:id:classlovesophia:20201128125115p:plain

東京裁判で証言する東条英機陸軍大将(1947年12月26日、写真:近現代PL/アフロ)

 

公文書はすべて残すべき

前述のガイドライン作成にも公文書管理委員会で助言した井上氏だが、歴史的な検証を確かなものにするためにも、公文書はすべて残すべきだと言う。

 

「いつ、誰から、どういう指示があったのかを再現できることが公文書を残すうえで重要です。ただし、メールやLINEそのものをすべて残さなくてもいい。その過程でどういう意思決定があったのかというメモを残す。デジタルを利用すれば、もっと簡単にできるのではないかと思うのです」

 

作成から保存、移管まで一貫して電子的に行う仕組み。政府も提言を受け、現在はデジタルでの一元管理に取り組み始めた。

 

公文書がデジタル化で利用しやすくなれば、人々の意識も変わる。そうした事例はすでに英国でも起きている。

 

日英で大きく違う「公文書の認識」

英国市民にとって公文書館は親しみやすい存在だと言うのは、在英ジャーナリストで、『英国公文書の世界史』という著作もある小林恭子氏だ。

 

「英国は日本と異なり、移民も多く、先祖のルーツを探しに市民が公文書館を訪れることは特別なことではありません。そもそも公文書の認識が日英では違います。たとえば、パブリック=公という言葉を聞くと、『お上』という言葉もあるように、日本では行政機関などを思い浮かべる人が多いかもしれません。ところが、英国では大概の人はパブリックといえば『国民・市民』が浮かびます。公文書はみんなのための資料という認識なんです」

 

だから、公務員が仕事で残した資料はどのような形でも公文書にあたる、という意識が根づいていると小林氏は言う。

 

「英国はメディアが権力を監視する意識も強く、かつ政権交代がしばしば起こるので、隠してもいずれ発覚する。隠蔽が発覚すると、メディアや世間からのバッシングは凄まじく、上司や関わった政治家も辞職せざるを得なくなる。緊張感のもとで仕事をし、下手な小細工はできない、という土壌があります」

 

f:id:classlovesophia:20201128125313p:plain

イギリスの国立公文書館(公式HPより)


英国以外でも欧州にはユニークな取り組みがある。フランスでは文化省がアーキビストを各省に派遣するミショネールという制度がある。同国では、省庁側が廃棄と判断した公文書でも、ミショネール(アーキビスト)の指示で公文書館に移管するよう進言できる。日本でも認証アーキビスト制度が広がれば、各省庁や地方自治体などで認証アーキビストが専門的に公文書管理の業務を担うことが目されている。実務の詳細は未定だが、そうなれば、官僚の意識も変わる可能性もある。

 

日本では少ないアーキビスト育成の大学

前出の井上氏は、短期間で劇的に公文書の扱いが変わるわけではないとしつつ、認証アーキビスト制度の創設に利点はあるという。

 

「有能なアーキビストの働きによって、官僚たちの意識改革につながる可能性はあります。そもそも現在、日本の大学は全国に700校ほどありますが、そのうちアーキビストを育成できる大学は学習院九州大学など数えるほどです。もっと増設され、欧米やアジア諸国のように一般の方にもアーキビストが認知されるようになれば、霞が関に残存する『由らしむべし、知らしむべからず』の意識が変わっていくのだと思います」

 

米国では大統領記録法により、大統領の通話記録、回覧文書は廃棄されずに保管されている。トランプ大統領がビリビリに引きちぎったメモも、記録担当者がゴミ箱から破片を集めて復元しているという。新しく生まれる「認証アーキビスト」は、日本の公文書管理の変化に一役買えるだろうか。

 

岩崎大輔(いわさき・だいすけ)
ジャーナリスト。1973年、静岡県生まれ。講談社「FRIDAY」記者。主な著書に『ダークサイド・オブ・小泉純一郎 「異形の宰相」の蹉跌』『激闘 リングの覇者を目指して』『団塊ジュニアのカリスマに「ジャンプ」で好きな漫画を聞きに行ってみた』など。

隠蔽、廃棄……繰り返されたずさんな扱い 「認証アーキビスト」で公文書管理は変わるのか - Yahoo!ニュース

 

数えきれないほどの学会が政治に対して声をあげてきました。だからこれが、政権にとっては、邪魔者でしかないのでしょう。

 

2020年9月16日、菅総理が発足し、早々やったことは、日本学術会議の任命拒否であり、それを口火とした学術会議バッシングでした。菅総理が標的にした研究者は、いずれも歴史学を含む人文・社会科学ばかりでした。

 

学問や学者というと、ウザい、偉そう、と思う人々も多いかもしれません。しかし、歴史を学べばおのずとわかることですが、学問は国民を権力と暴力から守る「最後の砦」です。それが崩壊したとき、権力は完全にブレーキを喪失し、地獄の季節が始まります。それを私たちは経験してきたはずです。

 

だから研究者は黙ってはいないのです。テレビの画面では政府の発言ばかりが取り上げられ、大きく声をあげている各種学会や大勢の研究者たちの声が、実際にはほとんどメディアに取り上げられることはなかったのですが、政府の不正に対して、研究者たちは、戦前も、そして現在も、必ずしも沈黙してはいなかったということを、認識しておく必要があります。

 

戦後民主主義下の1949年に学術会議が発足するにあたって、「われわれは、これまでわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんと誓うものである。(中略)われわれは、日本国憲法の保障する思想と良心の自由、学問の自由及び言論の自由を確保するとともに、科学者の総意の下に、人類の平和のためあまねく世界の学界と連携して学術の進歩に寄与するよう万全の努力を傾注すべきことを期する」(「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」1949年1月22日)と誓ったことにかんがみると、今回の事態はまさにこの学術会議設立の精神を否定するものである(「日本学術会議創立70周年記念展示日本学術会議の設立と組織の変遷」)。

日本歴史学協会 - 菅首相による日本学術会議会員の任命拒否に強く抗議する(声明)

 ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ 

 「桜を見る会」の懇親会 指摘おそれ平成26年分以降不記載 | 桜を見る会 | NHKニュース 

首相「桜を見る会」の名簿シュレッダー廃棄「野党の要求と全く無関係」 - 毎日新聞

「5000円でもできる」強弁 桜を見る会迷走、はぐらかの菅氏答弁を振り返る - 毎日新聞