City in the Clouds
City in the Clouds
Machu Picchu
Hiram Bingham と Indiana Jones
Hiram Bingham
アンデスの険しい斜面を、3人の男が這(は)うようにして登っていく。1911年7月24日の朝のこと。米国エール大学で中南米史の講師をしていた35歳のハイラム・ビンガム3世が2人のペルー人を伴って、「マチュピチュ」(ケチュア語で「古い山」)と呼ばれる尾根にあると伝えられていた遺跡を探しに行くところだった。出発地点であるウルバンバ川が流れる谷底から550メートルほど山を登ったところで、一行は2人の農民と出会った。遺跡などないのではないかと疑い始めていたビンガムに向かって、農民たちは「すぐ近くにある」と断言し、道案内のために、一人の少年を付けてくれた。
遺跡にたどり着いたとき、ビンガムは目の前の光景に息をのんだ。迷路のような階段構造や石壁が、草むらに半ば埋もれていた。廃墟(はいきょ)となったインカの都市は、400年近くも置き去りにされていたのだ。「信じ難い夢のようだった」と、ビンガムは回想している。
ビンガムは映画インディージョーンズのモデルともなったといわれている。
びっくりなんだけど、私の友達で、2人は、インディー・ジョーンズの影響で? 研究者になったひとがいる。一人は、アフリカの文化研究、ひとりはスコットランドの研究してる。
遺物返還について
米エール大、マチュピチュ遺跡の遺物をペルーに返還
【3月31日 AFP】ペルーの世界遺産マチュピチュ遺跡(Machu Picchu)から持ち出され、米エール大学(Yale University)に保管されていた遺物の一部が30日、ペルーに返還された。
第1陣として返還されたのは約1400点。首都リマ(Lima)の空港に到着した30基のコンテナは、約600人の警官に護衛されてトラックで大統領官邸に移送され、祝砲で出迎えられた。アラン・ガルシア(Alan Garcia)大統領は、「(戻ってきた遺物は)黄金でも宝石でもないが、宝物だ。ペルーの威厳と尊厳を象徴するものだ」と述べた。
返還された遺物の中には、米考古学者ハイラム・ビンガム(Hiram Bingham)が発掘し、1912~16年に米国に持ち帰った陶磁器や骨片366点も含まれている。
遺物はリマで短期間公開されたあと、かつてのインカ帝国の首都にあるクスコ大学(University of Cusco)で保管される予定だ。
ペルーは長年にわたり遺物の返還を求めてきたが、エール大は2011年がマチュピチュ遺跡発見100周年にあたることを機に、遺物4万5000点あまりをペルーに返還することに前年合意していた。(c)AFP
日本の遺骨返還は・・・
アイヌ遺骨返還訴訟
琉球遺骨返還訴訟
アイヌ民族や琉球人の遺骨が全国の大学に長期間にわたり保管されている背景には、人骨を標本として収集することが盛んだった時代の人類学研究をめぐる状況がある。19世紀に欧州で比較解剖学や形質人類学が生まれ、研究者が世界中の人骨の主に頭蓋骨を計測し、比較して人種の違い、進化の道筋を論じる動きが広まりました。受刑者や先住民の骨も研究の対象とされたのです ・・・
遺骨の収集には多くの研究者が関わり、アイヌと琉球だけでなく全国各地の日本人や朝鮮人、中国人、台湾先住民、東南アジアの先住民なども研究の対象とされました。その成果は、学術誌の論文や一般誌の記事として幅広く発表されました。多くの論文は、日本人以外の体格的な特徴や文化的風習を挙げて、日本人の優秀さを裏づける根拠とした。こうした研究が戦前の植民地主義的な国策を支える役割を果たしたことを、複数の研究者が批判しています
京都大学が盗掘した琉球人骨を返さぬワケ 政府や旧帝大関係者も絶対認めない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒