Sophists' Almanac

世界について知りたいとき

Setsuko Thurlow's Speech - 人々を動かすスピーチとは - サーロー節子さんの言葉のちから

 

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今まで、ほとんど日本の Nobel laureates (ノーベル賞受賞者) は natural science (自然科学) の分野での受賞が多く、平和賞などの分野では受賞はほとんどなかったと言われていました。でも今年は驚きでした。自然科学分野での受賞は一人もいなかったというびっくりと同時に、なんと、文学ではあの長崎県出身の日系英国人、カズオ・イシグロさんが。

 

sophist.hatenablog.com

 

そして、平和賞では、ICAN (International Campaign to Abolish Nuclear Weapons, 核兵器廃絶国際キャンペーン) で広島県出身の日系カナダ人、サーロー節子さんらが受賞台に立ちました。 

 

今日はサーロー節子さんのノーベル平和賞のスピーチを聴いてみたいと思います。彼女のスピーチは揺るぎない力強さと優しさがあり、人々の心を動かします。まさに彼女の言葉のちからが、人々の心を動かし、国連を動かし、核兵器禁止条約の採択をみちびいたのです。

 

サーロー節子 - Wikipedia

サーロー 節子(Setsuko Thurlow193213 - )は、広島県広島市南区出身でカナダのトロント市在住の被爆者、反核運動家。

 

中村節子として、広島市南区で生まれた。父はドイツ人の共同経営者とともにアメリカ合衆国(米国)カリフォルニア州で「西部フルーツ会社」を起業し果実業を営んでいた。

 

広島女学院(現広島女学院中学校・高等学校)に進学、のち学徒勤労動員され大日本帝国陸軍2総軍司令部で暗号解読作業の訓練を受けた。正規の暗号解読助手になって最初の日である194586日、広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.8㎞離れた同司令部で被爆、建物の下敷きになったが九死に一生を得た。このとき8人の親族や多くの同窓生を失った。

 

広島女学院大学卒業後、1954年米国に留学、リンチバーグ大学で1年間社会学を学んだ。1955年、ワシントンD.C.でカナダ出身の関西学院の英語教師と結婚。夫婦でトロントに移住し、トロント大学社会福祉事業の修士号を取得、ソーシャルワーカーになった。

 

当地の友人らとともに、広島・長崎の被爆写真パネルの展示など世論を喚起する活動を始め、のちカナダ・米国・イギリス・日本などで、被爆体験を語り核兵器廃絶を訴えてきた。核兵器禁止条約採択に際して、多くの国の代表が彼女の演説によって心を動かされたと述べており、中には彼女が特別な役割を果たしてきたと発言する者もあった。

 

201712月のノーベル平和賞授賞式では、ICAN核兵器廃絶国際キャンペーン)事務局長のベアトリス・フィンとともに記念のメダルと賞状を受け取り、受賞講演を行った。

 

でも、この ICAN が長年取り組んできた国連での核兵器禁止条約ですが、広島長崎の二度の原爆の苦しみを味わったこの国の安倍政権は、この核兵器禁止条約に「反対」し続けてきたのです。国連の現場では核兵器禁止条約は圧倒的多数の賛成で採択されたものの、日本は数少ない「核兵器禁止条約に反対」の国だったのです。ふるさとの日本をサーロー節子さんはどんな思いで見ていたでしょうか。

 

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核兵器禁止条約 決議案が国連の委員会で採択 日本は反対

NHK Web News

2016年10281018

 核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指す決議案が国連総会の委員会で採決にかけられ、123か国の賛成多数で採択されましたが、アメリカなどの核兵器保有国に加え、アメリカの核の傘に守られ、段階的な核軍縮を主張している日本も反対に回りました。

 この決議はオーストリアなど核兵器保有しない50か国以上が共同で提案したもので、核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指して、来年3月からニューヨークで交渉を始めるとしています。


決議案は、27日夕方(日本時間28日朝)、ニューヨークで開かれている国連総会の第1委員会で採決にかけられ、賛成123、反対38、棄権16の、賛成多数で採択されました。

採決では、核兵器保有国のうちアメリカやロシアなどが反対したのに対し、中国やインドは棄権して対応が分かれました。

また、唯一の戦争被爆国として核兵器の廃絶を訴えながら、アメリカの核の傘に守られている日本は、核軍縮は核保有国と非保有国が協力して段階的に進めるべきだとして、反対に回りました。

決議の採択を受けて、オーストリアのクグリッツ軍縮大使は「核兵器の法的禁止に努力してきた国々や市民社会の勝利だ。長年にわたって核兵器の非人道性を訴える活動を続けてきた成果だ」と意義を強調しました。
今回の決議がことし12月に国連総会の本会議でも採択されれば、来年3月から核兵器禁止条約の制定に向けた交渉が始まることになり、世界の核軍縮の流れにどのような影響を及ぼすのか、注目されます。

 

日本 立場反映されなかったことが反対の理由

 

 日本の佐野軍縮大使は、核兵器を禁止する条約の制定を目指す決議に反対したことについて、「核軍縮を実効的に進めるには、核保有国と非保有国の協力がなければならない。国際社会の総意で進められるべきだと強く求めたが、受け入れられなかった」と述べ、決議案に日本の立場が反映されなかったことを反対の理由に挙げました。


一方、日本が23年で連続して提出してきた、核廃絶を呼びかける決議について、ことしは、去年を上回る167か国が賛成し、去年反対したアメリカが共同提案国にもなったとして、「核軍縮を現実的に実践的に進めるという日本の考え方が幅広く支持された結果だ」と述べ、その意義を強調しました。

 

被爆者の訴えで非人道的という認識広がった」

 核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指す決議が採択されたことについて、主導的な役割を果たしたオーストリアのクグリッツ軍縮大使は「核兵器の被害の実態を知る被爆者が訴えてきたことで、核兵器が非人道的だという認識が国際社会の中で広がった」として、この間、広島や長崎の被爆者が果たした役割が大きかったという認識を示しました。

 そのうえで、来年3月から始まる核兵器禁止条約の制定に向けた交渉について「交渉は今回の決議に賛成しなかった国にも開かれている。核保有国や核の傘の下にある国にも核兵器禁止条約に関わるよう促していきたい」と述べ、日本も含め決議に反対した国々にも交渉への参加を呼びかけました。 


国際NGO 日本の反対に憤り

国際NGO、ICAN(アイキャン)の核兵器廃絶国際キャンペーンの川崎哲国際運営委員は、今回の決議案に日本政府が反対したことについて、「驚くとともに憤りを感じている。日本は核のない世界を目指すという目標を掲げておきながら、核兵器禁止条約の交渉を拒否した。日本政府はこれまで核兵器を持つ国と持たない国の橋渡しをすると言ってきたが、今回反対したことで、完全に軸足を核保有国側に移したと言える。国内でも理解されるとは思えないし、強く抗議をしていきたい」と述べました。
また、今後の核兵器禁止条約制定を目指す交渉について、「早く交渉が進み、核兵器の禁止が国際法になるよう働きかけていきたい」としたうえで、「日本政府にも考え方を改めて、交渉に参加してもらいたい」と述べました。

 また、ICANの核兵器廃絶国際キャンペーンのベアトリス・フィン事務局長は、核兵器禁止条約の制定を目指す決議案が採択されたことについて、「歴史的なことで非常にうれしく感じている。核兵器をなくすための交渉がほとんど進まなかった20年がようやく終わることになり、国連にとっても極めて重要な瞬間だったと思う。多くの国が、反対を求める核保有国からの圧力を受けながら、賛成してくれた」と述べ、意義を強調しました。
そして、「核兵器による被害を最もよく知る被爆者の声が、決議の採択に至る過程でも非常に重要だったし、今後の交渉の過程でも重要になってくる」と述べ、広島や長崎の被爆者が条約の制定に向け重要な役割を果たすという認識を示しました。
その一方で、日本政府がアメリカなどに同調して決議に反対したことについては「非常に落胆させられた」と述べ、強い失望感を示しました。 


世界の核軍縮停滞への不満と危機感が背景に

 核兵器禁止条約をめぐる議論の背景には、世界の核軍縮が既存の国際法の枠組みの下で停滞していることへの各国の強い不満と危機感があり、核兵器の非人道性に焦点を当てて核兵器そのものの違法性を明確にすべきという、国際世論の高まりがありました。
これまで世界の核軍縮の枠組みとしては、核兵器保有国と非保有国にそれぞれ異なった義務を課し、核兵器の廃絶を目指すNPT=核拡散防止条約がありましたが、段階的な核軍縮を主張する核保有国と速やかな廃絶を訴える非保有国の対立から交渉は停滞し、去年開かれた5年に1度の再検討会議でも議論が紛糾しました。
また、核実験を禁止するCTBT=包括的核実験禁止条約も、国連総会で採択されてから20年が経過したにもかかわらず、アメリカや中国が批准していないことから、いまだに発効していません。
今回の決議がことし12月に国連総会の本会議でも採択されれば、来年3月から核兵器禁止条約の制定に向けた交渉が始まります。しかし、アメリカなどは核抑止力に依存する世界の安全保障の現実を考慮せずに核軍縮は進められないとして決議に強く反対しており、条約の制定までには多くの曲折が予想されます。
日本は、アメリカの核の傘に守られている立場から核兵器の即時禁止に慎重な立場をとっていますが、広島や長崎の被爆者などは禁止条約の制定に強い期待を寄せています。

 

 官房副長官「わが国の基本的考えと合致しない」

 萩生田官房副長官は閣議のあとの記者会見で、「慎重な検討を重ねた結果、反対票を投じた。北朝鮮などの核、ミサイル開発への深刻化などに直面している中で、決議は、いたずらに核兵器国と非核兵器国の間の対立を一層助長するだけであり、具体的、実践的措置を積み重ね、核兵器のない世界を目指すというわが国の基本的考えと合致しないと判断した」と述べました。
一方、萩生田官房副長官は、日本が提出した核廃絶を呼びかける決議に、ことしは、去年を上回る167か国が賛成し、去年反対したアメリカが共同提案国になったことについて「わが国決議こそが、核兵器国と非核兵器国双方が、ともに目指すべき核兵器のない世界の道筋を示していることを表している」と述べました。

 

サーロー節子さん「核廃絶に向けた第一歩」

 核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指す決議が採択されたことについて、国連などの国際会議で核兵器廃絶を訴えてきた広島市出身の被爆者、サーロー節子さんは、「NGOなどと協力しながら、何年もかかってようやくここまできた。核廃絶に向けた第一歩になった」と評価しました。
そのうえで、「核兵器禁止条約という目標が定まったので、今後の交渉に向けても核兵器がどれほど危険か被爆者として訴え、条約が早く制定されるよう促していきたい」と述べ、各国への働きかけを続けていく姿勢を示しました。

 

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ともかく、心を動かす言葉と言うものは、

どんな言葉なんだろう

 

youtu.be

 

Delegates, NGO colleagues, dear friends, I never thought I would see this moment. I would like to share my gratitude for the exceptional work and dedication of everyone who has put their brains and their hearts into these treaty negotiations.

 

I am grateful to you Madame President for your leadership and the UN Secretariat, the delegations and NGOs, devoted to moving us ever closer to the goal of the total elimination of nuclear weapons.

 

As we gather in our celebration of this extraordinary achievement, let us pause for a moment to feel the witness of those who perished in Hiroshima and Nagasaki. Both at that time in August of 1945, and over these 72 years, 100,000 of people, each person who died had a name. Each person was loved by someone.

 

I’ve been waiting for this day for 7 decades. And I am overjoyed that it has finally arrived. This is a beginning of the end of nuclear weapons. I remember back in 2014 when many of us met in Nayarit, Mexico. The conference chair said, “this is a point of no return”.

 

We will not return to the failed nuclear deterrence policies.
We will not return to funding nuclear violence instead of human needs.
We will not return to irreversibly contaminating our environment.
We will not continue to risk the life of future generations.

 

To the leaders of the countries across the world, I bessecch you, if you love this planet, you will sign this treaty. Nuclear weapons has always been immoral. Now they are also illegal. Together let us go forth and change the world.

 

それでは、とにかく、この感動的なスピーチを聴いてみよう。

 

 

youtu.be

 

The International Campaign to Abolish Nuclear Weapons (ICAN) received the Nobel Peace Prize on December 10, 2017.

Your Majesties,
Distinguished members of the Norwegian Nobel Committee,
My fellow campaigners, here and throughout the world,
Ladies and gentlemen, 

 

It is a great privilege to accept this award, together with Beatrice, on behalf of all the remarkable human beings who form the ICAN movement. You each give me such tremendous hope that we can – and will – bring the era of nuclear weapons to an end.

 

I speak as a member of the family of hibakusha – those of us who, by some miraculous chance, survived the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki. For more than seven decades, we have worked for the total abolition of nuclear weapons.

 

We have stood in solidarity with those harmed by the production and testing of these horrific weapons around the world. People from places with long-forgotten names, like Moruroa, Ekker, Semipalatinsk, Maralinga, Bikini. People whose lands and seas were irradiated, whose bodies were experimented upon, whose cultures were forever disrupted.

 

We were not content to be victims. We refused to wait for an immediate fiery end or the slow poisoning of our world. We refused to sit idly in terror as the so-called great powers took us past nuclear dusk and brought us recklessly close to nuclear midnight. We rose up. We shared our stories of survival. We said: humanity and nuclear weapons cannot coexist.

 

Today, I want you to feel in this hall the presence of all those who perished in Hiroshima and Nagasaki. I want you to feel, above and around us, a great cloud of a quarter million souls. Each person had a name. Each person was loved by someone. Let us ensure that their deaths were not in vain.

 

I was just 13 years old when the United States dropped the first atomic bomb, on my city Hiroshima. I still vividly remember that morning. At 8:15, I saw a blinding bluish-white flash from the window. I remember having the sensation of floating in the air.

As I regained consciousness in the silence and darkness, I found myself pinned by the collapsed building. I began to hear my classmates’ faint cries: “Mother, help me. God, help me.”

 

Then, suddenly, I felt hands touching my left shoulder, and heard a man saying: “Don’t give up! Keep pushing! I am trying to free you. See the light coming through that opening? Crawl towards it as quickly as you can.” As I crawled out, the ruins were on fire. Most of my classmates in that building were burned to death alive. I saw all around me utter, unimaginable devastation.

 

Processions of ghostly figures shuffled by. Grotesquely wounded people, they were bleeding, burnt, blackened and swollen. Parts of their bodies were missing. Flesh and skin hung from their bones. Some with their eyeballs hanging in their hands. Some with their bellies burst open, their intestines hanging out. The foul stench of burnt human flesh filled the air.

 

Thus, with one bomb my beloved city was obliterated. Most of its residents were civilians who were incinerated, vaporized, carbonized – among them, members of my own family and 351 of my schoolmates.

 

In the weeks, months and years that followed, many thousands more would die, often in random and mysterious ways, from the delayed effects of radiation. Still to this day, radiation is killing survivors.

 

Whenever I remember Hiroshima, the first image that comes to mind is of my four-year-old nephew, Eiji – his little body transformed into an unrecognizable melted chunk of flesh. He kept begging for water in a faint voice until his death released him from agony.

 

To me, he came to represent all the innocent children of the world, threatened as they are at this very moment by nuclear weapons. Every second of every day, nuclear weapons endanger everyone we love and everything we hold dear. We must not tolerate this insanity any longer.

 

Through our agony and the sheer struggle to survive – and to rebuild our lives from the ashes – we hibakusha became convinced that we must warn the world about these apocalyptic weapons. Time and again, we shared our testimonies.

 

But still some refused to see Hiroshima and Nagasaki as atrocities – as war crimes. They accepted the propaganda that these were “good bombs” that had ended a “just war”. It was this myth that led to the disastrous nuclear arms race – a race that continues to this day.

 

Nine nations still threaten to incinerate entire cities, to destroy life on earth, to make our beautiful world uninhabitable for future generations. The development of nuclear weapons signifies not a country’s elevation to greatness, but its descent to the darkest depths of depravity. These weapons are not a necessary evil; they are the ultimate evil.

 

On the seventh of July this year, I was overwhelmed with joy when a great majority of the world’s nations voted to adopt the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons. Having witnessed humanity at its worst, I witnessed, that day, humanity at its best. We hibakusha had been waiting for the ban for seventy-two years. Let this be the beginning of the end of nuclear weapons.

 

All responsible leaders will sign this treaty. And history will judge harshly those who reject it. No longer shall their abstract theories mask the genocidal reality of their practices. No longer shall “deterrence” be viewed as anything but a deterrent to disarmament. No longer shall we live under a mushroom cloud of fear.

 

To the officials of nuclear-armed nations – and to their accomplices under the so-called “nuclear umbrella” – I say this: Listen to our testimony. Heed our warning. And know that your actions are consequential. You are each an integral part of a system of violence that is endangering humankind. Let us all be alert to the banality of evil.

 

To every president and prime minister of every nation of the world, I beseech you: Join this treaty; forever eradicate the threat of nuclear annihilation.

 

When I was a 13-year-old girl, trapped in the smouldering rubble, I kept pushing. I kept moving toward the light. And I survived. Our light now is the ban treaty. To all in this hall and all listening around the world, I repeat those words that I heard called to me in the ruins of Hiroshima: “Don’t give up! Keep pushing! See the light? Crawl towards it.”

 

Tonight, as we march through the streets of Oslo with torches aflame, let us follow each other out of the dark night of nuclear terror. No matter what obstacles we face, we will keep moving and keep pushing and keep sharing this light with others. This is our passion and commitment for our one precious world to survive.

小野小町伝説 - 花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に

 

 

 

小野小町

 

youtu.be

 

花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に — 『古今集

 

 

Sesame Street ① Elmopalooza - セサミ・ストリートで英語を学ぼう。

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セサミストリートで英語を勉強しよう !

英語字幕のボタンは youtube の右下にあります。

 

特に番組の一番終わりの曲 Songs が、とってもかわいいよ !

 

youtu.be

 

Elmopalooza is a one-hour TV special that aired on ABC on February 20, 1998.

Jon Stewart plans to host a music special to celebrate Sesame Street’s 30th anniversary. Jon and the show's crew, including producer Prairie Dawn, are in a dressing room getting ready for the show. Elmo visits them before the show starts and then leaves, shutting the door before Jon can tell him that the door is broken: it won't open once it's shut. Elmo decides to host the show, and the rest of the Sesame Street cast work behind-the-scenes, presenting music video remakes of classic Sesame Street songs.

Meanwhile, Grover drives Susan, Gordon, Gina, Bob, and Mr. Handford in a limo to the studio, but Grover gets lost and they end up in Roswell, New Mexico.

A soundtrack album was also released on cassette and CD, and the special was released on VHS two months after the special aired, on April 14th.[1]

 

Songs

(medley):

 

 

 

古くて新しいセサミストリート !

 

The Evolution of 'Sesame Street'

Biography.com

Sesame Street Photo

Sesame Street began airing on public television on November 10, 1969. (Photo: http://www.sesamestreet.org/ )

 

 

Sesame Street has been a part of children’s worlds since 1969. Fifty years ago, TV producer Joan Ganz Cooney and Carnegie Corporation vice president Lloyd Morrisett, concerned over what Cooney called the “wasteland” of options available to preschool viewers, decided to add nutrition to a diet heavy on junk food. Two years later, in 1968, the Children’s Television Workshop (renamed Sesame Workshop in 2000), funded by $8 million in grant money from Carnegie, the Ford Foundation, and the US government, was formed. Sesame Street was built upon Cooney’s study, “Television in Preschool Education,” and its belief that toddlers from all walks of life could be better prepared for the classroom.

Joan Ganz Cooney Photo
Joan Ganz Cooney founded the Children's Television Workshop in 1968 with the goal of using television to educate children. 

 

With its inner city setting and use of non-white performers, Sesame Street, which began airing on public television on November 10, 1969, looked different than other kids shows. No one particularly liked the show’s title (which was deemed hard to pronounce by the intended audience) but it stuck, and the neighborhood grew up rapidly. Jim Henson’s Muppets, which had been kicking around TV shows and commercials for a few years, were prominent residents, particularly the newly created Oscar the Grouch and Big Bird, who could easily interact with the human cast. (In the show’s test phase, the Muppets were restricted to their own segments, but kids liked seeing them in the “street” scenes, too, and they were added against the advice of its educational advisers, who thought their presence might be jarring.) By the following November, Big Bird had made the cover of Time magazine, the show had won the first of its more than 100 Emmy Awards, and President Richard Nixon was a fan. 

There were growing pains. Mississippi at first refused to air the show, citing its integrated cast, then reversed its decision; and Latinos and women complained about stereotyping. But Sesame Street, a show born of its times, modified with them as well—in 2007, as childhood obesity became an issue, Cookie Monster, who had been with the cast since the beginning, announced that “cookies are a sometimes food” on Martha Stewart Living. The concept went global, with Sesame Street airing in 140 countries by its 40th anniversary, and 20 international versions being launched. 

 

Jim Henson Big Bird Photo

Jim Henson brought his Muppets to Sesame Street including the newly created Oscar the Grouch and Big Bird. (Photo: The Jim Henson Legacy)

 

Federal funding ceased in 1981, as the Federal Communications Commission deregulated commercial restrictions on children’s shows and the number of programs—and the number of ads broadcast during those shows—rose. But viewer-supported, ad-free Sesame Street, buoyed by spin-off product streams like books, magazines, and toys, held its own, commercially and creatively. (Adding the enormously popular Elmo to the Muppet cast, and giving him his own segment in 1988, didn’t hurt.) Childbirth, and child abuse, were among sensitive topics discussed, and that candor has more recently seen episodes devoted to the September 11th attacks and Hurricane Katrina. When Will Lee, who played the beloved store owner “Mr. Hooper,” died in 1982, his passing was explored in an Emmy-winning episode. The deaths of key personnel like composer Joe Raposo, in 1989, and Henson, in 1990, were losses the show managed to absorb, as Sesame Street adjusted to the arrival of new kid programs like Barney and Friends on the block.

 

As Sesame Street changed TV, so, too, has TV changed Sesame Street. In a world of cable channels, websites, and apps, viewer donations and distribution fees paid by PBS member stations have slumped and production costs have risen, thus Sesame Workshop’s five-year partnership with HBO, which hasn’t produced any original children’s programming in a decade. The new episodes will have new/old “retro” production design, says Tony Award-winning scenic designer David Gallo, and Big Bird will move into his own home tree. PBS viewers feeling “empty nest” syndrome, don’t fret: the HBO episodes will air on public television in the fall, as Sesame Street embraces the new while retaining its core values. 

William Shakespeare in Popular Culture - いろんな映画やドラマに登場するシェイクスピアを見てみよう !

red dwarf shakespeare に対する画像結果

 

伝説的なブリティッシュ・コメディー

Red Dwarf

 

www.youtube.com

 

あのミスター・ビーン、奇才ローワン・アトキンスの

Black Adder

 

www.youtube.com

 

あのスター・トレック映画シリーズでも最高傑作だと思う

スタートレック VI 未知の世界

Star Trek VI: The Undiscovered Country

勿論タイトル自体がシェイクスピアハムレットから、

そしてあちこちにシェイクスピアの言葉がちりばめられています。

 

www.youtube.com

 

あと、George Takei もすばらしい役どころです !

Mother Goose: Richard Scarry's Best Sing-Along Mother Goose Video Ever - マザーグースを一緒に歌ってみよう !

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Richard Scarry's

Best Sing-Along Mother Goose Video Ever

 

youtu.be

 

Richard Scarry's Best Sing-Along Mother Goose Video Ever

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1.Little Jack Horner

Little Jack Horner sat in the corner

Eating a Christmas pie

He put in his thumb, and pulled out a plum, and said...

What a good boy am I!

 

2.Star Light, Star Bright

Star light, star bright

The first star I see tonight

I wish I may, I wish I might

Have this wish I wish tonight

 

3.London Bridge

London Bridge is falling down

Falling down, falling down

London Bridge is falling down

My fair lady

 

 

Take the key, and lock him up

Lock him up, lock him up

Take the key, and lock him up

My fair lady

 

4.Mary Had a Little Lamb

 

5.Old Mother Hubbard

6.Little Bo Peep

7.Hey Diddle Diddle

8.Little Miss Muffet

9.Hickory Dickory Dock

10.Three Little Kittens

11.Little Boy Blue

12.There Was an Old Woman Who Lived In a Shoe

13.Wee Willie Winkie

14.Old King Cole

15.Sing a Song of Sixpence

16.Hickeldy Pickeldy

17.Sleep, Baby, Sleep

 

Japanese Americans - IMF 二つの祖国のはざまで戦った兵士たち

Military Intelligence Service に対する画像結果 

 

アメリカ陸軍情報部 - Wikipedia

アメリカ陸軍情報部(アメリカりくぐんじょうほうぶ、Military Intelligence Service, MIS)は、第二次世界大戦期にアメリカ陸軍が有した部局である。戦略的情報および戦術的情報の収集および分析を目的とした[1]第二次世界大戦中のアメリカ陸軍には、MISの他に信号保安局(Signal Security Agency, SSA)、防諜隊(Counter Intelligence Corps, CIC)といった諜報機関が設置されており、これら3組織の隊員は世界中で活動していた。

太平洋戦線には日系2世将兵で編成された語学要員部隊が派遣され、翻訳や情報収集、文書の分析、投降の呼びかけ、捕虜の尋問といった任務に従事し、戦後の対日占領任務にも参加した。また、リッチー・ボーイズとして知られるドイツ・オーストリア系隊員による語学要員部隊も存在した。

 

youtu.be

 

全米日系人博物館:日系兵士年表

Emma Watson, UN Speech for gender equality - ハーマイオニー役を演じたエマ・ワトソンの国連スピーチを聴いてみよう !

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3月8日は国際女性の日。

 

集中講義では Harry Potter も読んでいますが、

 

映画シリーズの中で Hermione Granger を演じたのは
英国の女優 Emma Watson さんです。

 

 「ハーマイオニー」の画像検索結果

 

でも、彼女が Feminist としても声をあげていく中で、
とても悪意ある批判をする人もいます。

 

いま、話題になっているのが、これ。
「透けたボレロをまとったエマ・ワトソン。胸の一部をあらわにしたその写真がソーシャルメディアで物議を醸している。」とか。

 

www.huffingtonpost.jp

 

くだらないね。「胸をあらわにした写真が、男性の目を喜ばせたいだけの女性を蔑視するポーズだと批判された。」などと。

 

でも、いくら服を着ていても下品で性を蔑視するような写真はいっぱいあるし、これは胸が露わになってても、性欲に媚びるなんてそんな下品なところは微塵もないよね。とても自然な体の表現で、恥ずかしいところなんてひとつもない。だいたい、親にもらった体のどこが恥ずかしいのでしょう。

 

でも、こうした嘲笑するような批判などが、彼女にどっと押し寄せてくるようになったのはいったいなぜ?

 

彼女が自分の意見を言葉にし始めて、ある種の人たちは彼女をターゲットにするかのように批判を始めました。

 

でも、彼女の言葉に耳を傾けてみることも大切だと思います。

 

Hermione Granger は、大人になっても、知的で勇気ある女性ですね。

 

国際女性の日に、もう一度、国連での彼女のスピーチをとどけたいと思います。

演説の中身も素晴らしいし、ブリティッシュイングリッシュも美しいね !

 

youtu.be

 

Today we are launching a campaign called HeForShe.

 

I am reaching out to you because we need your help. We want to end gender inequality, and to do this, we need everyone involved. This is the first campaign of its kind at the UN. We want to try to mobilize as many men and boys as possible to be advocates for change. And, we don’t just want to talk about it. We want to try and make sure that it’s tangible.

 

I was appointed as Goodwill Ambassador for UN Women six months ago. And, the more I spoke about feminism, the more I realized that fighting for women’s rights has too often become synonymous with man-hating. If there is one thing I know for certain, it is that this has to stop.

 

For the record, feminism by definition is the belief that men and women should have equal rights and opportunities. It is the theory of political, economic and social equality of the sexes.

 

I started questioning gender-based assumptions a long time ago. When I was 8, I was confused for being called bossy because I wanted to direct the plays that we would put on for our parents, but the boys were not. When at 14, I started to be sexualized by certain elements of the media. When at 15, my girlfriends started dropping out of sports teams because they didn’t want to appear muscly. When at 18, my male friends were unable to express their feelings.

 

I decided that I was a feminist, and this seemed uncomplicated to me. But my recent research has shown me that feminism has become an unpopular word. Women are choosing not to identify as feminists. Apparently, I’m among the ranks of women whose expressions are seen as too strong, too aggressive, isolating, and anti-men. Unattractive, even.

 

Why has the word become such an uncomfortable one? I am from Britain, and I think it is right I am paid the same as my male counterparts. I think it is right that I should be able to make decisions about my own body. I think it is right that women be involved on my behalf in the policies and decisions that will affect my life. I think it is right that socially, I am afforded the same respect as men.

 

But sadly, I can say that there is no one country in the world where all women can expect to see these rights. No country in the world can yet say that they achieved gender equality. These rights, I consider to be human rights, but I am one of the lucky ones.

 

My life is a sheer privilege because my parents didn’t love me less because I was born a daughter. My school did not limit me because I was a girl. My mentors didn't assume that I would go less far because I might give birth to a child one day. These influences were the gender equality ambassadors that made me who I am today. They may not know it, but they are the inadvertent feminists that are changing the world today. We need more of those.

 

And if you still hate the word, it is not the word that is important. It’s the idea and the ambition behind it, because not all women have received the same rights I have. In fact, statistically, very few have.

 

In 1997, Hillary Clinton made a famous speech in Beijing about women’s rights. Sadly, many of the things that she wanted to change are still true today. But what stood out for me the most was that less than thirty percent of the audience were male. How can we effect change in the world when only half of it is invited or feel welcome to participate in the conversation?

 

Men, I would like to take this opportunity to extend your formal invitation. Gender equality is your issue, too. Because to date, I’ve seen my father’s role as a parent being valued less by society, despite my need of his presence as a child, as much as my mother’s. I’ve seen young men suffering from mental illness, unable to ask for help for fear it would make them less of a man. In fact, in the UK, suicide is the biggest killer of men between 20 to 49, eclipsing road accidents, cancer and coronary heart disease. I’ve seen men made fragile and insecure by a distorted sense of what constitutes male success. Men don’t have the benefits of equality, either.

 

We don’t often talk about men being imprisoned by gender stereotypes, but I can see that they are, and that when they are free, things will change for women as a natural consequence. If men don’t have to be aggressive in order to be accepted, women won’t feel compelled to be submissive. If men don’t have to control, women won’t have to be controlled.

 

Both men and women should feel free to be sensitive. Both men and women should feel free to be strong. It is time that we all perceive gender on a spectrum, instead of two sets of opposing ideals. If we stop defining each other by what we are not, and start defining ourselves by who we are, we can all be freer, and this is what HeForShe is about. It’s about freedom.

 

I want men to take up this mantle so that their daughters, sisters, and mothers can be free from prejudice, but also so that their sons have permission to be vulnerable and human too, reclaim those parts of themselves they abandoned, and in doing so, be a more true and complete version of themselves.

 

You might be thinking, “Who is this Harry Potter girl, and what is she doing speaking at the UN?” And, it’s a really good question. I’ve been asking myself the same thing.

 

All I know is that I care about this problem, and I want to make it better. And, having seen what I’ve seen, and given the chance, I feel it is my responsibility to say something.

 

Statesman Edmund Burke said, “All that is needed for the forces of evil to triumph is for good men and women to do nothing.”

 

In my nervousness for this speech and in my moments of doubt, I told myself firmly, “If not me, who? If not now, when?” If you have similar doubts when opportunities are presented to you, I hope those words will be helpful. Because the reality is that if we do nothing, it will take seventy-five years, or for me to be nearly 100, before women can expect to be paid the same as men for the same work. Fifteen and a half million girls will be married in the next 16 years as children. And at current rates, it won't be until 2086 before all rural African girls can have a secondary education.

 

If you believe in equality, you might be one of those inadvertent feminists that I spoke of earlier, and for this, I applaud you. We are struggling for a uniting word, but the good news is, we have a uniting movement. It is called HeForShe. I invite you to step forward, to be seen and to ask yourself, “If not me, who? If not now, when?”

 

Thank you very, very much.

 

 俳優しながら、大学もオックスフォード大学ブラウン大学で英文学専攻、優秀な成績で卒業。

 

prestige.smt.docomo.ne.jp

 

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日本の政治的無意識のせいでずっと放置されてきた「日米地位協定」を素通りしたまま日本を理解することはできない

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飛行機で関西方面から東京に飛ぶとき、

なんで千葉の方までぐわーって大回りしていくのか知ってた?

 

日本の空が日本のものではない !?

 

そもそも日米地位協定ってなに ?

TV そもそも総研 がわかりやすく説明してくれています。

 

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Jazz - Jamie Cullum - ブリティッシュ・ジャズの寵児ジェイミー・カラム - 私たちの中にある難民の歴史 "Refugene"

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British Jazz - Jamie Cullum

 

名門レディング大学 (University of Reading) では英文学 (English Literature) を専攻、ジャズ・ミュージシャンとしてクラブなどで演奏しながら、なんと首席で卒業。アルバム Twentysomething の歌詞には Shakespeare の名前も出てきますね。卒業後、レコード会社と契約してデビュー。

 

2010年にはモデルの Sophie Dahl と結婚。彼女の祖父はあの Charlie and the Chocolate Factory (チョコレート工場の秘密) などの作品で有名な英国作家ロアルド・ダール (Roald Dahl)。

 

動画は日本に来日した時のライヴ

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Jamie Cullum

Jamie Cullum is a British jazz-pop singer-songwriter.

Childhood: Jamie Cullum was born at Romford Hospital in Essex and was raised in Hullavington, Wiltshire. Cullum attended the private school, Grittleton House School, followed by sixth form at Sheldon School. Cullum then studied English Literature with a minor in Film Studies, at Reading University. He graduated with first class honours.

Jamie Cullum's mother is Anglo-Burmese. Her family settled in Wales after Burma was declared independent.

 

Jamie Cullum is engaged to the British model Sophie Dahl. Sophie is the granddaughter of the writer Roald Dahl.

 

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ジェイミー・カラムが「難民」をかたる

 

私たちの中に流れる「難民」の歴史

カラムさんのファミリーヒストリーをメモを取りながら聞いてみよう。

 

Jamie Cullum Facebook

I'm proud of me and my family's #refugenes. To see loads of other refugenes stories from people like Bella Freud, Rita Ora and Neil Gaiman, and to find out how you can help millions of refugees still in need today go to www.helprefugees.org.uk/refugenes

 

 

 

Jamie Cullum - My family values

The Guardian

 

My grandmother, Irma, escaped Nazi Germany. She was studying in Prussia and working towards becoming a doctor, but that was cut short when she had to leave. She lost all her family in the Holocaust and ended up in Jerusalem where she met my grandfather, Harry. They had my auntie and my dad and then came over to the UK and started their family life.

 

My grandfather, Harry, died when my dad was in his early 20s, so I never met him. Amazingly, he was 6ft tall. That gene definitely never filtered down to me! Irma was this incredible, sparky lady. She was always interestingly dressed, with immaculate hair and nails and gold shoes. And she was an utterly voracious reader.

 

My brother, Ben, and I are both musicians and Irma encouraged our interest in music. Growing up, I just wanted to be like Ben. He picked up the electric guitar – so did I. He played the piano – so did I. He got interested in DJ-ing – so did I. He got interested in recording songs – so did I. I idolised him and he always showed me the way. He plays the bass and sings, and writes with me for my albums and for other people. He has a very successful career in his own right.

 

Mum came over from Burma, aged four, when Japan invaded. There were four of them, my grandmother Hazel, grandfather Leonard, my mum and my uncle. They left everything behind and had one trunk of possessions. Because my grandfather had worked with the British army as an engineer in Burma, he had the option of coming to the UK. It was very alien for them; they were a dark-skinned family dumped in a very white village in Wales. I've got an amazing photograph of them a few days off the boat, immaculately dressed, standing in Trafalgar Square looking a bit confused.

 

My maternal grandad, Leonard, was full of amazing stories. He was an orphan, with 11 or 12 brothers and sisters, and he used to tell us about growing up near the Irrawaddy river and how one brother was eaten by a crocodile.

 

As I grow older and meet more and more people, I realise how lucky I am to have had a stable family environment. Both my parents had loving families but unstable upbringings, so they wanted us to have a more stable situation. My happiest memories are simple ones – on the beach at Cornwall where we went on holiday for my entire life. We weren't mega-wealthy but we never wanted for anything; we weren't surrounded by expensive toys but we had what we needed emotionally.

 

My dad worked in finance and my mum was a secretary. My dad is creative – he is a great painter and a maker of things. I think in some ways he deserved to live a creative life and I admire the fact that he was committed enough to do a job that wasn't necessarily true to his character.

 

Sophie [Dahl] and I are having an amazing time with our daughters, Lyra and Margot. Margot is two months old, and Lyra is two. Obviously, I think stability is important and being surrounded by love, good examples and good work ethics. You realise as you get older that the things that make life worth living are your relationships and the work that you do.

 

Charles Chaplin, The Dictator - チャップリンの『独裁者』- 二十世紀最高のスピーチを聞いてみよう ! - 英語耳 ②

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学生時代にちゃんと見ておきたい映画はいっぱいあるね。

働きだすと忙しすぎて「名画をちゃんと見ておく」時間がないのよ~。

 

で、学生時代に一貫して何度も見てきた映画は

ちゃーんと、自分の中宝物のようにある。

 

だから、

チャールズ・チャップリン監督の名画シリーズとか、

 

一番好きなチャップリンの映画はこれ ⇩

もう、めちゃくちゃ笑えるし、すっごく深くて悲しい。

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フェデリコ・フェリーニ監督シリーズとか、

タルコフスキー監督シリーズとか、

スパイク・リー監督シリーズとか、

 

テーマを絞ってみていくといいよ。

 

今日は、チャップリンのあの名画を紹介。

 

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blog.goo.ne.jp

 

1分40秒のあのスピーチで、リスニング能力は飛躍的に向上する|今さらながら「英語耳」を育てる最善の方法

クーリエ・ジャポン

チャップリンの映画『独裁者』のラストシーン


もう一つ、「20世紀の最高の演説」と国際的に称えられているものに映画俳優兼監督のチャーリー・チャップリンのスピーチがある。

映画『独裁者』(原題:The Great Dictator, 1940)の中で、ヒトラーをモデルにした独裁者と顔がそっくりユダヤ人理髪店主が、独裁者に間違えられてラジオで演説をする羽目になって、そこで意を決して大演説をぶつ場面だ。



これもYouTubeで簡単に見られるし、演説の原稿もネットで読める。以下がその全文だ。

Charlie Chaplin’s “Great Dictator” (1940) speech

“I’m sorry, but I don’t want to be an emperor. That’s not my business. I don’t want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone―if possible―Jew, Gentile―black man―white. We all want to help one another. Human beings are like that. We want to live by each other’s happiness―not by each other’s misery. We don’t want to hate and despise one another.

In this world there is room for everyone. And the good earth is rich and can provide for everyone. The way of life can be free and beautiful, but we have lost the way. Greed has poisoned men’s souls, has barricaded the world with hate, has goose-stepped us into misery and bloodshed. We have developed speed, but we have shut ourselves in. Machinery that gives abundance has left us in want. Our knowledge has made us cynical, our cleverness hard and unkind. We think too much and feel too little. More than machinery we need humanity. More than cleverness we need kindness and gentleness. Without these qualities, life will be violent and all will be lost . . . !

The aeroplane and the radio have brought us closer together. The very nature of these inventions cries out for the goodness in men—cries out for universal brotherhood—for the unity of us all. Even now my voice is reaching millions throughout the world—millions of despairing men, women, and little children—victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.

To those who can hear me, I say—do not despair. The misery that is now upon us is but the passing of greed—the bitterness of men who fear the way of human progress. The hate of men will pass, and dictators die, and the power they took from the people will return to the people. And so long as men die, liberty will never perish. . . . . .

Soldiers! don’t give yourselves to brutes—men who despise you—enslave you—who regiment your lives—tell you what to do—what to think and what to feel! Who drill you—diet you—treat you like cattle, use you as cannon fodder. Don’t give yourselves to these unnatural men—machine men with machine minds and machine hearts! You are not machines! You are not cattle! You are men! You have the love of humanity in your hearts! You don’t hate! Only the unloved hate—the unloved and the unnatural! Soldiers! Don’t fight for slavery! Fight for liberty!

In the 17th Chapter of St. Luke it is written: “the Kingdom of God is within man”—not one man nor a group of men, but in all men! In you! You, the people, have the power—the power to create machines. The power to create happiness! You, the people, have the power to make this life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure. Then—in the name of democracy—let us use that power—let us all unite. Let us fight for a new world—a decent world that will give men a chance to work—that will give youth a future and old age a security. By the promise of these things, brutes have risen to power. But they lie! They do not fulfil that promise. They never will! Dictators free themselves but they enslave the people! Now let us fight to fulfil that promise! Let us fight to free the world—to do away with national barriers—to do away with greed, with hate and intolerance. Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men’s happiness. Soldiers! in the name of democracy, let us all unite!”

このスピーチは全文620語。先ほどのリンカーン演説の2.3倍の分量だが、一読してわかる通り、ほぼ全文、きわめて易しい単語しか使っていない。日本人でも高校1~2年生なら知らない単語は10語以下だろう。全部で6パラグラフ、単文の積み重ねで論旨も明快で、ネイティブなら間違いなく小学4~5年生で充分わかる内容だ。

さて、読者はこれをあらためて声に出して読んでみてほしい。読み終えるのに何分何秒かかるだろうか。

普通の日本人でこれを5分以内で朗読できる人はほとんどいないと思う。6~8分で読めれば上等、大学生レベルの英語力がある、と認めよう。10分以内で高校2年生レベル、10分以上かかる人は中学3年生レベルの英語力だと判断すればいいだろう。

読者の多くは第2パラグラフまで読み終えたあたりで、もうつっかえながら朗読するのが嫌になるのではないだろうか。読むのが遅い人ほど、読み上げるのに精いっぱいで、中身が何かもわからなくなりやすい。文意がわかる人ほどスムーズに文章が追え、自然に読むスピードも速くなる。

つまり自分の耳が英語を聴き取る力がある人ほど速く読める、というわけだ。

これを映画のチャップリンは3分30秒(210秒)で演説している。10秒当たり29語と、かなりの速度だ。

最初、静かに始まり、ごく普通のスピードで第2パラグラフの終わり、“life will be violent and all will be lost . . . !”までがちょうど60秒だ。第1パラグラフが70語、第2パラグラフが116語なので、ここまで1分間に186語のスピードだ。

つまりリンカーンの演説に比べてほぼ2倍のスピードになっている。マイクの前での演説、ということで、誰にもわかりやすく、単文の畳みかけで、あちこちに巧みに韻を踏んで、流れるようなリズムがある。

第3パラグラフあたりからだんだん本人が興奮してきて、第5パラグラフの“Soldiers! don’t give yourselves to brutes―”あたりはまさにアジ演説そのもの、という感じで声を張り上げて歯切れよくまくし立て、迫力充分だ。

そして最後の“Soldiers! in the name of democracy, let us all unite!”は、明らかに歴史上有名なカール・マルクスの『共産党宣言』(1848)が呼びかけた「万国の労働者よ、団結せよ」をもじっている。

このため、この映画は片や「反ファシズムの堂々たる歴史的な名演説」と絶賛される一方、「チャップリン共産主義者と同じアジテーター(煽動家)だ」と厳しく批判を受けることにもなった。

映画としては、パロディ喜劇だったのが最後にあまりにパセティック(悲愴)な政治的プロパガンダ(宣伝)になっているのが問題だ、という批評は今日に至るまで少なくない。だが、この演説自体は内容も素晴らしいし、格調の高さ、レトリック(修辞)の見事さで非常に優れた名演説であることは間違いない。

この映画製作にあたってチャップリンは、自分と同年生まれのアドルフ・ヒトラーを強く意識し、「反ナチスになるのにユダヤ人である必要はない。まともな人間なら必ずナチスに反対するはずだ」と信じて、この演説草稿も数ヵ月もかけて入念に練り直したという。

それだけあちこちに思わず感心するような名文句、フレーズがたくさん含まれている。英語学習者としては、それらを覚えて日常会話の中にさりげなく入れると、ネイティブを感心させ、会話をいっそう盛り上げることができるだろう。

目標は「10秒で15語」


冒頭に示したように、ネイティブの日常会話のスピードは10秒で20~25語くらいになる。それを聴き取るためには、自分も同じスピードで話せる必要はないが、それに近いスピード、つまり10秒で15~18語くらいで話せるようになるのを目標にすればよい。

そのための訓練として、このチャップリンのスピーチをお手本にしながら、最初は声に出して繰り返し読み上げ、少しずつ1文ごと、パラグラフごとに、英文を見ないで何度も暗誦し、そのスピードを徐々に速めていくといい。そういう練習を繰り返して初めて「英語のスピードに耳が慣れる」効果が期待できるはずだ。

ちなみに、リンカーンチャップリンがともにperishという単語を使っていることに注意してみよう。チャップリンは明らかにこの単語をリンカーン演説のさわりを意識して“liberty will never perish . . .”と言っている。

「人民による政府」も「自由」もまさに民主主義の根幹をなす「生き物」であり、それは普通の人々(people)が常に努力してつくり育てていかなければならないもので、もし放置すればたちまち鮮度を失い、腐り、形骸化して干からびてしまうものだ、という意味が込められている。

だからこそ、単に「存在するものが見えなくなる」という意味のdisappearではなく“perish”が使われているし、ついでに野菜や魚などの生鮮食料品のことをperishableと呼ぶ意味がわかるだろう。

また米国の奴隷解放運動を進めたリンカーン、あらゆる人種差別に反対したチャップリンの演説が、いずれも「国家と人民」の関係を最重要課題にしていた事実を押さえると、その先に第35代大統領、J・F・ケネディの就任演説(1961)の結語に近い部分で“And so, my fellow Americans: Ask not what your country can do for you―ask what you can do for your country.”という呼びかけがあり、さらに市民権運動の指導者になった黒人牧師、M・L・キング牧師の首都ワシントン広場での“I have a dream”演説(1963)に直結することがわかってくる。

そしてこの名演説者の3人とも暗殺され、チャップリンも1952年に事実上アメリカから追放されたという米国史の暗部についても否応なく考えさせられる。

優れた演説を覚え、その意味を深く考えていくことで、自分のアメリカを見る眼を養い、翻って日本のあり方をより深く考える──それこそが英語を学ぶ者の最も大切なことではないだろうか。

『最強の英語学習法 グローバル人材を育てる実践的英語教育』
日本語で言えることの8割以上を英語でも言えるようになるためにはどうすればいいのか。学生、ビジネスパーソン、そして教育関係者まで、あらゆる人の参考になる一冊。


以上、2つの例を挙げたが、このように自分で実際に声に出して読んでみて、そのスピードをネイティブ並みに近づけていく練習を続けることが「英語耳」を育てる最善、最短の方法だと私は考えている。

その素材としては、別に上に示したような演説でなくてもよい。ラジオ、テレビ、ビデオなど何でもよい、自分の関心のあるニュースの解説や好きな映画を何度も繰り返し見て、特に気に入った場面を、30秒から1~2分の長さのものを繰り返し聴いて、そのスピードに慣れること、そしてその真似をして暗誦することだ。

それを続けていると、徐々に「聴き分けられる」力がつき、同時に「それらしく」発音できるようになるものだ。

世の中に大量に出回っている教材で「聞き流すだけで英語耳ができる」とか「自然に話せるようになる」とかいうのはほとんど誇大宣伝であり、そういう教材も今言ったような暗誦訓練の素材として使ってこそ、初めて効果が出てくるものだと私は考えている。

また、そういう「聴き取り」練習の際、聴いたことをそのまま英文で書き写すことが効果をいっそう高めることに役立つ。

リンカーンチャップリンの演説もそうだが、20~50語分くらいを書き写すことを続けていると、ごく自然に文章構造の組み立て方や、特に日本人に理解しにくい冠詞(a, the)や前置詞(at, to, on, in, over, of, off)などの使い方が、理屈でなく、感覚的に少しずつわかってくる。

それが他の英文を読むときにも、書くときにも、重要な助けになってくるはずだ。

 

William Shakespeare - シェイクスピアってどんな人?

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シェイクスピアって、どんなひと?

 

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Globe Theatre

歴史修正主義とは - 『否定と肯定』- ホロコースト否定論者 (Holocaust denier) と法廷で戦ったある歴史学者の物語

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今月12月8日からロードショーだよ。

実際におこった裁判を映画化。

 

 

大学の歴史の授業にどやどやとホロコースト否定論者がわりこんできて、

教授は名誉棄損で訴えられてしまいます。

 

え、ほんとにホロコーストはなかったの ?

 

 

ともかく、映画評論家の町山智浩さんのお話が分かりやすいので、書き起こしされてるかたのブログを引用させてもらいますね。

 

読んでみましょう。

けっこう嫌いじゃない南海キャンディーズのヤマちゃんが聞き手です。

 

町山智浩 映画『否定と肯定』を語る

町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中でホロコーストの有無についてイギリスの法廷で争った事実を映画化した作品『否定と肯定』を紹介していました。

 

町山智浩)で、今回も結構事情がわからないとわからない映画なんですけども。『否定と肯定』というタイトルで12月8日から日本で公開される映画なんですが。これ、『否定と肯定』というタイトルになっているんですが、原題は『Denial』。だから「否認する」っていうことですね。罪状否認とかの否認っていう言葉ですけども。これはじゃあ、なにを否定しているのか?っていうと、ユダヤ人の大量虐殺。ナチス・ドイツが第二次大戦中にやった、いわゆるホロコーストが「ない」と言っている人と、「ある」と言っている人が裁判で争ったという実際の事件ですね。

山里亮太)うん。

町山智浩)2000年にイギリスの法廷で起こったんですけども、それの映画化です。で、これ主人公はデボラ・E・リップシュタットというアメリカの歴史学者ですね。女性なんですけども。これ、写真に出ていますけども。この人が大学でホロコーストについて授業をやっていたら、そこにいきなりこのおっさんが入ってきたんですよ。デイヴィッド・アーヴィングっていうおっさんなんですけども。これはティモシー・スポールっていう俳優さんの写真なんですけども。この人が演じているデイヴィッド・アーヴィングっていう人が入ってきてですね、「ホロコーストはなかった!」って叫んだんですよ。

授業中なんですよ?

 

 

海保知里)ええ。

町山智浩)それなのに叫んで。「なぜなら、ヒトラーは『ホロコーストをしろ、ユダヤ人を虐殺しろ』という命令書を書いていないからだ! 命令書があるって言うなら、それを持ってこい!」って。

 

で、いきなり札束を出して、「ヒトラーの命令書を持ってきたら、この1000ドルをくれてやる!」ってやったんですよ。

海保知里)はー。

町山智浩)で、しかもそこにマスコミを入れているんですよ。

海保知里)用意周到ですね。

町山智浩)そう。それで記事になっちゃったんですよ。で、彼女……リップシュタットさんは教授ですけども。それに対してその場でちゃんと反論をできなかったんですね。で、マスコミには「やっぱりホロコーストはなかった」みたいなことを書かれちゃうんですよ。で、その後にこの1000ドルを出すと言ったデイヴィッド・アーヴィングはリップシュタットさんを訴えるんですね。っていうのはリップシュタットさんが『ホロコーストを否定する人たち』(『Denying the Holocaust: the Growing Assault on Truth and Memory』)という本を出していたんですよ。で、その本の中でこのデイヴィッド・アーヴィングを「自分自身の半ユダヤ的な思想のために『ヒトラーホロコーストをしなかった』という風に事実をねじ曲げて書いた嘘つきだ。歴史家としては全く信頼できない嘘つきだ」という風に書いていたんで、それに対して名誉教授の裁判を起こしたんですよ。

海保知里)はい、はい。

町山智浩)これね、デイヴィッド・アーヴィングっていう人はイギリスの人なんですよ。で、イギリスの裁判所に出版社(ペンギンブックス)と作家の彼女を訴えたんですね。で、これで大変な事態になったわけですよ。これね、すごく変な話なんですけど、イギリスの裁判所ってそういうことをやった時に、裁判で訴えた側が普通、アメリカとか日本では立証責任を持っているんですよ。訴えた内容がちゃんと事実に基づいているかどうかっていう立証責任があるのは、原告側なんですね。アメリカや日本では。ところが、なぜかイギリスでは訴えられた方に、被告側に立証責任があるわけですよ。

山里亮太)ええっ?

 

イギリスの裁判所

町山智浩)イギリスは変な法律なんですよ。で、普通その訴える時に訴える内容が裁判にあたらないようなレベルの低いものだったら、やっぱり取り下げられたりするわけですよね。でも、イギリスはそうならないんですよ。訴えられた方が立証しなくちゃいけなくなるんですよ。これ、非常に怖いですよね。「この本は嘘じゃないか!」っつって。でも、はっきりした事実を訴えた側は示さなくてもいいんですよ。とにかく、訴えちゃえばいいんです。

山里亮太)はー! じゃあ、「嘘じゃないですよ」っていうのを……。

町山智浩)そう。本を出した方がそれを証明しなきゃいけなくなるんです。

海保知里)ある意味、いい加減なというか、言ったもの勝ちみたいになっちゃいますよね?

町山智浩)だからどういう法的な思想が背後にあるかわからないんですけど、イギリスではそうなんですね。で、彼女はアメリカ人なんですけど、イギリスに行ってその裁判をしなきゃならなくなって。これは大変な話題になるんですよ。っていうのは、ホロコーストがあるかないかを裁判で決定するという、非常に珍しい事態が起こったので。で、ホロコースト肯定派と否定派っていうのに分かれて、ずっと歴史をめぐる争い、いわゆる歴史戦を行っている状態なんですね。で、両方がバーッと乗っかってきて大変な騒ぎになっていったんですね。

海保知里)ふーん!

町山智浩)で、マスコミだけじゃなくて、たとえばスティーブン・スピルバーグという映画監督は『シンドラーのリスト』っていうホロコーストについての映画を作っていますけども。彼はそのリップシュタットさんがお金がないだろうということで裁判費用を出したりしていますね。

海保知里)へー!

町山智浩)で、裁判になってじゃあこのリップシュタットさんはその法廷で彼と戦う事ができるのか? ということで弁護士に相談したら、「あなたは絶対に裁判所で証言台に立ってはいけません」って言われるんですよ。

海保知里)えっ、なんで?

町山智浩)「それは、彼の作戦なんです」っていう。どうしてか?っていうと、「彼はこれで裁判に勝つか負けるかよりも、あなたを貶めようとしているんです」と。傍聴席とかにマスコミとかが来ているじゃないですか。日本と違って裁判はかなり向こうはオープンですからね。で、「アーヴィングという男はディベートがめちゃくちゃ得意な男なのでみんなの前であなたを問い詰めて、あなたがしどろもどろになっているところで『ほら、やっぱりホロコーストはなかった! この女は嘘つきだ!』みたいなことで、あなたを貶めようとしているんだ。あなたはそれにはまっては絶対にいけないんです」って弁護団から言われるんです。

海保知里)はい。

町山智浩)こういう人っているんですよ。これ、最初のところで「ヒトラーの命令書がないだろ?」って言っていたんですけど、ヒトラーの命令書がないのは有名な話なんですよ。っていうのは、ホロコーストっていうのはナチも悪いと思っていたから。やっちゃいけないことだと思っていたから、一切証拠を残していないんですよ。

 

だから、すごく証明が難しいんですよ。命令書を書いたら、それが証拠として残っちゃうじゃないですか。だから、そんなものは書いてないんですよ。ヒトラーは口頭で言っているんですよ。「ユダヤ人を殺せ」と。っていうのは、ヒトラーも最初はユダヤ人をどうしていいか、わからなかったんですよ。つまり、ナチが人気を集めるためにユダヤ人をスケープゴートにして、「あいつらが悪いんだ。あいつらを収容所に入れろ!」っていう風にして、収容所に入れたのはいいんですけど、その後にどうするかを考えてなかったんです。

山里亮太)ふーん!

町山智浩)で、ほとんど放置して、病死とか餓死させたんですけど、それだけじゃ足りないわけですよね。特にハンガリーの方で途中から40万人ぐらいのユダヤ人が収容所に送られると、もう収容所が入らないんですよ。で、どうするか?っていったら、これは殺すしかないとなるんですけど、ただそれ自体は絶対にこれはマズい。これは知れたら……ユダヤ人を見つけ出して収容所に送るということに協力している人たちも、「殺す」っていうことがわかっていたら、そこまでしないですよね。だからなぜ、ヨーロッパ中の人たちが、フランス人もハンガリー人もオーストリア人もドイツ人もみんな、ユダヤ人の収容に協力したのか?って言ったら、殺すとは思っていなかったからです。

海保知里)そうか!

町山智浩)「殺す」って言っていなかったから。「殺す」って言ったらたぶん、なかなか協力はできないですよ。でも、言っていないから免罪符を与えられて、ユダヤ人狩りの協力をして(居場所などを)報告していたんですけども。だから、殺すということは秘密にしなきゃいけなかった。で、しかもやりながら、前に『サウルの息子』っていう映画を紹介したんですけども。実態はほとんど外部に漏れないようにしてやっているんですよね。で、戦争に負けそうになると、完全に爆破して証拠隠滅をしている。ただ、実際にそのガス室の手伝いをやらせていたのも、ユダヤ人自身にやらせていたんですよ。

 

サウルの息子

町山智浩 ホロコースト体験映画『サウルの息子』を絶賛する
町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で、アウシュビッツ収容所でユダヤ人虐殺を行ったゾンダーコマンドたちを描いたハンガリー映画『サウルの息子』を紹介。絶賛していました。 ...

 


山里亮太)はい。

町山智浩)あまりにもひどいことだから、ドイツ人もあんまり手を出したくなかったんですよ。だから、殺しもユダヤ人にやらせる。で、その人たちを「ゾンダーコマンド」って言うんですね。で、なぜこのホロコーストが発覚したか、アウシュビッツガス室が発覚したかというと、このゾンダーコマンドの人たちがこっそりと手紙を書いて、それを瓶に詰めて地面に埋めていたからなんですよ。

海保知里)ああ、それでわかったんですか!

町山智浩)そう。ゾンダーコマンドはほとんど殺されているんですけど、脱出した人が証言したりとか、あと隠しカメラを持ち込んで現場の写真を撮ったりして、証拠を残したのでガス室があるということがわかったんですよ。だからそれぐらい証拠隠滅をしたので、出てこないのは当然なんだけども、マスコミとかを集めていきなり、「命令書はないだろ!」ってこのアーヴィングっていう人はやっちゃうんですよ。すると、いま言ったような長い説明をしなきゃならないから、しどろもどろになっちゃうんですね。すごく、俺みたいに口ばっかり達者な人間はいいんですけど。すぐにバーッてケンカできるんですけども(笑)。

(海保・山里)アハハハッ!

町山智浩)大抵の人はそうじゃないから、そういう風にやらると、しどろもどろになってちゃんとした反応ができないんでやられちゃうんです。だから朝まで生テレビなんかがそうで。あれなんか、見ると本当にそうなんですけども。本当に知識を持っている人とか、本当に論理がある人が勝つんじゃなくて、ディベートが上手い人が勝つでしょう?

海保知里)ああー。

町山智浩橋下徹さんとかね。僕、本当にやった時に思ったけど、「ああ、この人は証拠を固めていって論証するタイプじゃなくて、その場で勝とうとする人だな」って思ったけども。あれは弁護士のやり方なんですよ。法廷は、あれじゃないと勝てないんですよ。

海保知里)そうなんだー!

町山智浩)『リーガル・ハイ』ってそうだったじゃないですか。その場のアドリブで勝つっていう。もう倫理的な部分であるとか正義はないじゃないですか。『リーガル・ハイ』って。その場でディベートに勝てりゃいいやっていう世界で。あれは弁護士の、法廷のやり方なんですよ。で、それをやられたらたまらないから、このリップシュタットさんには「証言台に立たないように」って弁護士から言われるんですよ。それだけじゃなくて、生存者の人たち。実際にホロコーストの、アウシュビッツとかに入れられていた人たちもおじいさん、おばあさんになっているんですけど。「否定されたらたまらない。我々は殺されるところだった。だから、私が証言台に立ちます!」って来るんですよ。そしたら、それも弁護士は「絶対に彼らを法廷に、証言台に呼んではダメだ!」って言うんですよ。

海保知里)えっ、なんで?

町山智浩)それはね、過去にアーヴィングはそういうホロコーストから生き残った人たちって、入れ墨が入っていたんですよ。番号の。まあ、殺された人たちもみんなそうなんですけど、番号の入れ墨されていたんですよ。人間扱いじゃないですよ。家畜扱いだったんですよ。で、それを出して、「私はアウシュビッツに入れられました」っていうことを証明するんですけど、それに対してアーヴィングは「あのばあさんたちは、いくらもらってあの入れ墨を入れたのかね?」とかって言っていたんですよ。

海保知里)ええーっ!

町山智浩)だから「もし、そのおじいさん、おばあさんたちを法廷に出したら、たぶん歳を取って記憶とかが曖昧になっているから、そこのところをアーヴィングは徹底的に突いて、彼らを『カネ目当ての嘘つき野郎』と言って冒涜して。彼らは本当に、地獄から生還したにもかかわらず、みんなの前で本当に傷つけられることになるから。絶対に出してはいけない」って言われるんですよ。

山里亮太)でもそうなると、戦い方がわからないですよ。

町山智浩)ものすごく大変な戦いになってくるんですよ。この裁判は。どうしたらいいのか?っていう。そこで出てくるのがね、弁護士さんなんですけども。リチャード・ランプトンっていう弁護士さんが出てくるんですね。

山里亮太)いい助言をずっとくれている?

町山智浩)ああ、もう1人の弁護士さんが出てくるんです。その人をトム・ウィルキンソンさんっていう俳優さんが演じているんですけど、この人が本当に名優でね。本当に出てくるだけでいい味を出すんですよ。のんびりした感じの人なんですけど。で、この人がなんかやる気なさそうにその弁護団につくんですけど、だんだんこの人がいい味を出してくるっていう。ちょっと泣けるところがあるところなんですけども。

海保知里)へー!

町山智浩)たとえば、この男がどういう風にして「ホロコーストはない」っていうことを言っているのか?っていうと、さっきみたいな「ヒトラーの命令書はない」っていうことを言ったり、あと、ホロコーストが起こったガス室にはガスを送るための空洞になった煙突みたいな柱が4本あったんですね。で、そのことを、ホロコーストが実際にあったんだということを建築の部分から証明しようとしている建築学者が出てくるんですよ。で、「私はガス室を完全に再現して、どういうシステムなのかを証明した」と言っていると、そこに対して、「でもそれだと、4つの柱があるはずなんだけど、爆破されて倒壊した残骸の屋根には4つの穴はないですよね?」っていきなり法廷で言うんですよ。そうすると、その建築学者は「ん、ん、ん? あったっけ? なかったっけ?」ってなっちゃうんですよ。

海保知里)ああーっ!

町山智浩)で、そこで「ないですよね? ないですよね? ないですよね? 穴がなければ、ホロコーストもない!」って言うと、その日の夕方の新聞にはもう「ホロコーストはない」って書かれちゃうんですよ。

海保知里)いやーっ!

町山智浩)で、その後に弁護団が「写真を調べたら、ちゃんと4つの穴はありました。その時に手元になかったので、わからなかっただけです」って。でも、もう記事は出ちゃいました。そうすると、ずーっと「ホロコーストはない」ということを、「ホロコーストはない」と信じたい人たちの間でグルグルと回っていくんですねっていう。

山里亮太)上手い! 敵ながら……嫌なやつ!

町山智浩)だからものすごいそこのへんがね、裁判っていうのは別のものなんですよね。歴史的な論証のし合いっていうのは時間があってゆっくりと互いに反論しあってやっていくものなんですけど、裁判っていうのはその場でのスタンドプレーの戦いんですよ。だからこれでね、またもうひとつ大きな問題があって。「ホロコーストがない」と信じる人が「ホロコーストがない」と言うこと自体は法的には何の問題もないんですよ。

海保知里)えっ、もう1回、言ってください。ホロコーストが……?

町山智浩)もし、このアーヴィングっていう人が「ホロコーストはなかった」と本当に信じて、その通りに書いたんだったら、別にそれはなんでもないんですよ。法律的にはそれは言論の自由なんですよ。で、この裁判は「彼は本当は『ホロコーストはある』とわかっているのに、証拠を捏造したり、引用の仕方をねじ曲げたり、歪曲したりすることで、ホロコーストはなかったかのような事実をでっち上げた嘘つきだ」って彼女が書いたので、それに対する名誉毀損で争っているんです。

海保知里)ああーっ!

山里亮太)そうか!

町山智浩)そう。すっごいややこしいことなんですよ。だから、彼が嘘つきであることを証明するためには、たとえばひとつの書類があったとして、その書類から彼がAという部分を引用していて、「ホロコーストはない」と言っているとする。でも、書類の何行か後にはBということが書いてあって、Bには「ホロコーストはある」っていうことが書いてあった場合、そのBを彼が引用しなかったらこれは完全に事実の歪曲なんですよ。

山里亮太)なるほど。

町山智浩)彼が参考とした資料の中にホロコーストはあるということを決定づける記述があるのに、彼がそれをわざと隠していたらそれは、彼が嘘つきであることの証明になるんですよ。そういうことを証明しなくてはならない裁判だったんです。

海保知里)難しいじゃないですか、それ!

町山智浩)難しいんですよ。だから映画を見ただけじゃ、これはなにを争っているんだろう?っていうのがわからない人が多くて。下手すると、「ホロコーストはなかった」と言うことが許されないという言論の弾圧が行われているって勘違いする人もいると思います。でも、そうではないんです。

海保知里)違うんですね。

 

世界中で歴史戦が行われている現代

町山智浩)違うんです。そこではないんです。だからこれはね、なぜいまここで映画化されて見なければならないのか?っていうのは、これはいま、本当に世界的に歴史戦が行われているんですよ。世界各地で。あらゆる歴史戦が行われているんですよ。だからたとえば、日本だといま問題になっているのは従軍慰安婦の問題ですよね。他にも南京事件の問題だったり、関東大震災の時の朝鮮人虐殺だったりするわけですよ。これはもう、出版社によっても全然違うことが書かれていたりするわけですよね。

海保知里)はい、はい。

町山智浩)で、それが本当なのか?って、言ったもの勝ちになっちゃっていて。Aというものを信じる人はもうBということを言う人のことを全く聞かないという状態になっているじゃないですか。だからこれは、いまいちばんひどく進んでいるのがアメリカですね。

海保知里)ああ、そうなんですか。アメリカが。

町山智浩トランプ大統領ですよ。もう、あまりにもいろんなことを言うから、なにが本当だかわからなくなってくるんですよ。もう嘘も本当も……嘘が多いですけども。それをものすごい勢いでやっていて。トランプを信じている人たちは全部それを信じますからね。だからもう、彼自身がセクハラをやったかやらないかっていうこともわからなくなってきていますよね。なにがなんだか。

海保知里)ちょっと問題になっていましたよね。

町山智浩)わからなくなってきちゃったじゃないですか。だからこれ、全世界で。そういう風にヨーロッパでも行われているし。本当に続いているフェイクニュースとの戦いみたいなことになっているので。本当に、これが戦いなんだ。こういうものと戦うには、こういうところでやっていくしかないんだというのが、つまり、歴史をねじ曲げている人たちは絶対に自分はねじ曲げているという自覚があるということなんですよ。

海保知里)ふーん!

町山智浩)そこを突くことしかないんですよ。で、この原題タイトルが『Denial』っていう、「否認」っていう意味のこれ、

本来は心理学用語ですよ。

海保知里)ああ、そうなんですか。

町山智浩)目の前に事実があるのを見ても、それを認めないことをそう言うんですよ。だからたとえば、ある女性が好きだったりすると、彼女が「あなたなんか嫌いだから出てこないで!」って言っても、「そう言いながら、彼女は本当は俺のこと好きなんだよな」って。これはまさに、否認(Denial)なんですよ。自分が信じたいことを信じるために、目の前に完全な事実があってもそれを否定することなんですよ。それをしているかどうかなんですよ。歴史戦における戦いの本当の勝ち方っていうのはそこでやっていくしかないんですよ。だからそこで嘘をついているかどうか……大抵の人は自分に嘘をついているんですよ。

山里亮太)うん。

町山智浩)歴史をねじ曲げている人たちはね。だから、そこを突いていくっていう話になっているんで。そうじゃないとね、勘違いして。「これはユダヤの人たちの陰謀の、ホロコーストをでっち上げようとする裁判なんだ!」みたいな、そういう次元じゃないんですよ。そうじゃないんです。嘘をついている人は大抵、自分にも嘘をついているんですよ。本当に経歴詐称とかしている人なんか、典型的にそうですよ。経歴詐称っていうのは自分の歴史を嘘をつくことじゃないですか。

海保知里)はい、はい。

町山智浩)それって絶対に嘘だと知っているじゃないですか。その人は。でしょう? だから経歴詐称の人は絶対に僕は信じられないんですよ。

海保知里)はー!

町山智浩)完全な嘘だから。絶対に嘘つきだから。根本的な嘘つきだから。だから俺はそういうのと戦い続けているんですが、それは置いておいて……。

海保知里)町山さん!(笑)。

山里亮太)うわーっ、その話も聞いておきたいけど……(笑)。

町山智浩)いま、いっぱいいるんですけどね。本当に経歴詐称の人だけは気をつけてください。自分に嘘をついている人たちは本当の嘘つきです。

海保知里)うわっ、もう見たくて見たくてたまらない!

町山智浩)そういうのが『否定と肯定』っていう映画ですね。12月8日から公開ですね。

海保知里)また今日も本当に面白いお話、ありがとうございました。

町山智浩)いえいえ、どうもでした。

 

歴史を学ぶものたちが必ず考えておかなければならない、

歴史修正主義 (historical revisionism) というもの。

 

歴史修正主義とは

物語られた歴史 history は,見直し=修正 revision の可能性につねに聞かれている.見直し=修正を拒否する歴史は,イデオロギー的に絶対化された歴史である.だから,修正主義 revisionismと いう言葉も,かつては必ずしも悪い意味ではなかった.ところが近年では,「歴史修正主義」という言葉はほとんどいつもネガティヴな意味で使われ,批判の対象に付けられるべき名前となった.「ホロコーストナチス・ドイツによるユダヤ人大量殺戮)などでっち上げ」「ナチ・ガス室はなかった」などと主張するホロコースト否定論者たちが,みずから歴史修正主義者 revisionist を名乗って活動していることが大きい.1990年代後半の日本に,「自虐史観」批判を掲げて登場し,「日本軍慰安婦〉問題は国内外の反日勢力の陰謀」「南京大虐殺はなかった」とまで叫ぶに至った勢力が,「日本版歴史修正主義」と呼ばれるようになったのも,この連想か働いたためである.

「歴史/修正主義」(高橋哲哉岩波書店)p.iiiより。

 

歴史の修正を騙り歴史を捏造・歪曲・否定しようとする人々が歴史修正主義者と呼ばれる所以は、このように彼らが自ら歴史修正主義者を名乗って活動していたことにある。

Sight-Seeing: Harlem, New York - アフリカ系アメリカの歴史と伝統の街、うるわしのハーレムに行ってみよう !

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Harlem, New York

ハーレムに行ってみよう !

 

youtu.be

 

特に、春休みの期間、二月は

Black History Month で、一か月間、いろんなイベントやパレードがあり、とっても楽しいよ。

 

www.yahoo.com

 

とりあえず時間ないので、

お薦めのスポットから書いていくね。

 

No. 1 - 黒人教会に行ってみよう

 

震えるほどの感動を!ニューヨークでゴスペルに行ってみよう!

Petite New York

注意事項

1) ドレスコード、フォーマルな服装で

2) 礼拝中はビデオや写真は禁止

3) 近年はかなりの人気でなかなか入りくくなってるみたい。

4) 聖なる空間です。くれぐれも失礼のないように !

 

 

No. 2 - 地元の人と触れあおう

 

マルコム・シャバーズ・マーケット 

Malcolm Shabazz Harlem Market – New York, NY – Harlem One Stop

 

セントラルハーレムにある巨大なお土産モール。隣のマルコム X のモスクと関連している施設で、アフリカからのイスラム系移民の人たちがたくさんのお店を開いています。みんなフレンドリーで、アフリカのアクセサリーから衣服、楽器から音楽、アフリカの仮面から小物まで、もう、歩くだけで楽しいよ。いろんな人と話をしてみよう !

 

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No. 3 - 本場のソウルフードを !

 

本場の黒人料理を味わえるのがハーレムの楽しみ。

いろんなレストランがあるけど、老舗はやはりここかな。

若い時に私もあの伝説的なシルヴィアさんと一緒に写真撮ってもらったよー。

スペアリブは今、ソースが手軽に変えるからすぐに作れるけど、やはり一回は行っておきたいお店。日曜日の午後はゴスペル聞きながらとか、夜はジャズ聴きながらとか。

 

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 No. 4 - 本場のジャズを !

 

ニューヨーク・ジャズ・ガイド

やっぱ、夜はジャズでしょ。

ハーレムのコージーなジャズ・クラブを一押しで紹介したいところだけど、高騰する地価におされてつぶれてしまった・・・。高級なロウワーマンハッタンのジャズクラブより、ハーレムのレノックスが一番。あと、もっと小さな地元のジャズバーなんかに、ものすごい地元のミュージシャンがぶっ飛ぶような演奏して、おばあちゃんが、ぐわーって歌ってたりするので、発掘する価値はあるとおもう。

 

No. 5 - ミュージアムも

 

ショーンバーグセンターもいいけど、来年はヒップホップミュージアムもできる予定というから楽しみですね。

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playatuner.com

 

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Greek and Roman Mythology - Hellenism and Hebraism ヘレニズムとヘブライズム

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Hellenism and Hebraism 

 

ヘレニズムとヘブライズム

ヘレニズムHellenism)とは、ギリシア人ヘレネス)の祖、ヘレーンに由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス3世(大王)(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。

 

ヨーロッパ文明の基調をヘブライズム(ユダヤ教キリスト教)と、ヘレニズムに求める見解は、19世紀にマシュー・アーノルドによって示された。以降、こういった見解はヨーロッパ文明を説明する上で一般的に用いられている。

 

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Old Testament - Genesis 11:1-9 バベルの塔 - 一言語主義の傲慢さ 

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Genesis 11:1-9

Tower of Babel

 

かつて言葉は一つだった?

聖書にあるバベルの塔のお話とは。

 

youtu.be

 

 

で、

ユダヤ人が奴隷として連れ去られ幽閉されていたバビロニアには、本当にバベルの塔のような古代の古い塔の遺跡があったらしい。

Ziggurat - Wikipedia

ジッグラトまたはジグラート(: Ziggurat[注釈 1] アッカド語:ziqqurat)とは古代メソポタミアにおいて、日乾煉瓦を用い数階層に組み上げて建てられた巨大な聖塔である。「高い所」を意味する言葉である。シュメール起源(シュメール語でジッグラトを表す語は「エ・ウ・ニル(驚きの家の意)」)と考えられており、一般に地上の神殿又は神殿群に付属しながらジッグラトの頂上にも神殿を備え、神の訪れる人工の山としてメソポタミアの諸都市に建造されたと考えられている。しかし、機能的には不明な点も多い。

メソポタミアにおいて、紀元前5000年頃に南部の都市エリドゥで都市の形成や神殿の建設がみられるようになる。やがてシュメール・アッカド時代と呼ばれる紀元前3000年期に都市の重要な展開がみられ、ジッグラトもこの頃に現れることとなる。王を中心とする専制体制の社会の中で、エジプトでは顕著であるが、大規模な建造物は王を象徴するという意味を持ち、王の権力を表すために実体のもつ力を大規模な建造物で表した。そのため、建築の表現において量感が中心となり、外部空間と建物の関係が構成上重要であった。メソポタミアは軸線の意識がそれほど強くないが、全体的に静的・彫刻的な空間構成ということができる。

旧約聖書の『創世記』に記されているバベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものという説もある。いくつかのジッグラトが発掘されており、最大規模の遺跡としては、エラム(現イラン)のチョガ・ザンビール、比較的保存状態が良いものとしてはウル(現イラク)のものが挙げられる。

 

 

Babylonian captivity - Wikipedia

バビロン捕囚(バビロンほしゅう)は、新バビロニアの王ネブカドネザル2世により、ユダ王国ユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた事件を指す。バビロン幽囚バビロンの幽囚ともいう。西暦前587年または586年、ネブカドネザルエルサレムを滅ぼした。ラキシュやアゼカを含め、ユダの他の都市も征服した。ネブカドネザルは、生き残った人々の大半をバビロンに強制移住させ、人々は捕囚にされる。 流刑の後、ユダヤ人はアケメネス朝ペルシャの初代の王キュロス2世によって解放され、故国に戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許される。