Sophists' Almanac

世界について知りたいとき

Nobel Prize for Literature 2017 - Kazuo Ishiguro カズオ・イシグロの世界

英文学のクラスでも紹介しましたね。The Remains of the Day (日の名残り) などで有名な日系英国人作家、カズオ・イシグロ

 

 ishiguro kazuo に対する画像結果

 

なんと今年の 2017年のノーベル文学賞を受賞されました。 

 


ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 日系イギリス人

NHKニュース

 

ことしのノーベル文学賞に、日系イギリス人で世界的なベストセラー作家のカズオ・イシグロ氏が選ばれました。

スウェーデンストックホルムにある選考委員会は日本時間の5日午後8時すぎ、ことしのノーベル文学賞の受賞者にカズオ・イシグロ氏を選んだと発表しました。

イシグロ氏は62歳。1954年に長崎で生まれ、5歳のとき、日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、イギリス国籍を取得しました。

1989年に出版された「日の名残り」は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞ブッカー賞を受賞しています。

また、2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。

ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」と評価しています。

イシグロ氏 受賞の知らせ「いたずらかと思った」

ノーベル文学賞の受賞が決まったカズオ・イシグロ氏は、イギリスのBBCの取材に対して受賞の知らせを受けた時の感想について「いたずらかと思った」と述べました。イシグロ氏は「これまでノーベル文学賞を受賞した偉大な先人たちの中に自分の名前が加わることはとても光栄だ」とコメントしています。

数々の優れた長編小説

カズオ・イシグロ氏は数々の優れた長編小説を英語で発表してきました。

1982年のデビュー作「遠い山なみの光」は、戦後まもない長崎が舞台で、混乱のなか、たくましく生きる女性の姿を描きました。

1986年に発表した2作目の「浮世の画家」は、戦前の日本人画家が主人公で、終戦をきっかけに社会の価値観が大きく変わる中、とまどいながら生きる姿を繊細に表現しました。

1989年に出版された「日の名残り」は第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞ブッカー賞を受賞しています。

2000年の「わたしたちが孤児だったころ」では、ロンドンで育った孤児が探偵となり、日中戦争で揺れる中国に渡って両親の行方を捜す姿が描かれています。

2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。

最近では、おととし「忘れられた巨人」を発表し、老夫婦が何度も困難に直面しながらイギリスで旅を続ける姿を描きました。

日本に初めて戻ったのは30代

カズオ・イシグロ氏は、1954年、長崎県で日本人の両親のもとに生まれました。海洋学者だった父親北海油田の調査に参加したことをきっかけに、5歳のとき家族でイギリスに移住しました。

イギリスでは現地の学校に通い、ケント大学やイーストアングリア大学で英文学などを専攻したということです。

イシグロ氏は、父親がイギリスで仕事を続けたため、長年、日本に戻らず、成人したあと、イギリス国籍を取得しました。

イシグロ氏がイギリスに渡ったあと、日本に初めて戻ったのは30代になってからだということです。
 
そんなイシグロさんの生粋のブリティッシュ・イングリッシュで
英文学とは何かという講義を聞いてみよう。
日本語版はこのサイトの一番下にあるよ。
 

 

ノーベル文学賞:「日本はもう一つの古里」イシグロさん

 今年のノーベル文学賞に、日系イギリス人作家のカズオ・イシグロさん(62)が選ばれた。

 記憶を残すか捨てるかの葛藤を通し、価値が激しく変化する時代の人間の弱さを描いてきた。平易な文章で、世界に多くの読者を持つ作家だ。

 2015年6月、10年ぶりの長編小説として発表した「忘れられた巨人」(土屋政雄訳)の宣伝のため来日した際にインタビューした。「ほお……。初めて聞きました。本当ですか、なぜですか」。イシグロさんがソファから身を乗り出したのは、私が「日本では東日本大震災後、負の歴史をなかったことにし、例えばヘイトスピーチを容認するかのような排外的空気が強まっている。どう思うか」と問うた時だ。日本語は話せないが、かなり聞き取れるのだという。

 「忘れられた巨人」は、老夫婦が息子捜しの旅をするラブストーリー。6世紀ごろのグレートブリテン島を舞台にしたファンタジーだが、人々の記憶を奪っている存在が浮かび上がってくる。イシグロさんは「1990年代のユーゴやルワンダでの内戦と大虐殺のショックが執筆のきっかけ」と説明した。過ちを繰り返さないために、記憶をどう扱えばいいのか。記憶は、この作家のデビュー以来の一貫したテーマだ。初期の「遠い山なみの光」と「浮世の画家」は幼少期の日本でのわずかな記憶をたどり、代表作「日の名残り」は英国の執事が古き良き時代を思う。

 日本では近年、第二次世界大戦で犯した加害の歴史を封印したがる勢力が伸長し、内心の自由を抑圧したり集団的自衛権を一部容認したりする動きが続いている。「確かに大津波原発事故の後の日本には、強いリーダーシップは必要でしょうね。ただ、その成否は運に左右されます。南アフリカマンデラ氏は成功しましたが、9・11後の米国は憎悪を多く生む結果になりました。日本の現状については知識がないからコメントできません」と残念そうだった。

 「でも、英国でも米国でも、この小説を自分たちに今起こっていることとして読んでくれる人は多いですよ」と語った。その語り口からは日本でも記憶を奪おうとする動きがあるのでは、という懸念がうかがえた。だからこそ、その作品群は、世界はもとより現代の日本人の胸に深く響く。最後に「私の底に子ども時代の日本がある。もう一つの古里です」とほほ笑んだ。【鶴谷真】

 

 

Kazuo Ishiguro | Biography, Books, & Facts | Britannica.com

Kazuo Ishiguro, (born November 8, 1954, Nagasaki, Japan), Japanese-born British novelist known for his lyrical tales of regret fused with subtle optimism. In 2017 he won the Nobel Prize for Literature for his works that “uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world.”

In 1960 Ishiguro’s family immigrated to Great Britain, where he attended the universities of Kent (B.A., 1978) and East Anglia (M.A., 1980). Upon graduation he worked at a homeless charity and began to write in his spare time. He initially gained literary notice when he contributed three short stories to the anthology Introduction 7: Stories by New Writers (1981).

 

 

長編小説

邦題 原題 出版年
遠い山なみの光英語版[注 2] A Pale View of Hills 1982年
浮世の画家英語版 An Artist of the Floating World 1986年
日の名残り The Remains of the Day 1989年
充たされざる者英語版 The Unconsoled 1995年
わたしたちが孤児だったころ英語版 When We Were Orphans 2000年
わたしを離さないで Never Let Me Go 2005年
忘れられた巨人 The Buried Giant 2015年

 

Never Let Me Go (2005)

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また BBC は、ノーベル文学賞を長年待望されている村上春樹のファン、ハルキストたちの悲嘆を報じています。

 

村上春樹は、イスラエルで数年前に文学賞を受賞し、その際、素晴らしいスピーチをしました。その影響で、もしかしたらずっとノーベル文学賞を逃し続けることになるのかもしれません。どうなるのでしょう。

 

www.bbc.com

And this year's Nobel Prize for literature goes to... someone who's not Haruki Murakami again. The BBC delves into the dejected world of his long-suffering fans whose sole desire - to see the Japanese writer win the prize - is thwarted every year.

 

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2016年、あの夏のこと - DEEPCOUNT - Note of Okinawa

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あの夏に捧げる歌

 

DEEPCOUNT - Note of Okinawa 

https://youtu.be/2_5STX1dDTE?t=1m41s

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東京 沖縄 SUMMER TIME 平成二十八年の夏
コンクリートの虚構のジャングルから 青い星の 青い心の
青い 青い 空につながり ヤンバルのジャングルへ飛びあがる
真夏の沖縄 十年ぶり ながら二泊三日の短い駆け足の旅
走り抜けるスコール ひかりの降り注ぐ夕方の那覇に着陸
那覇の食堂で天皇陛下生前退位の意向の映像を見た
辺りの空気は微妙な振動だった
南の島の北へと向う小さなレンタカー 夜の帳 久しぶりの一人旅
蝶の飛ばない夏の唄が生まれた高飛びの街の滑走路から
蝶が飛び蛍の光る そして オスプレイの飛び交う着陸帯が置かれる
標的の村 高江へ着いた

 

東京 沖縄 SUMMER TIME 平成二十八年の夏
朝 車の中でおきる 県道70号 米軍北部訓練場の直ぐ隣
東京からはよく見えない 青い空の向う 遠く南に戦争の基地のひしめく琉球の島がある
この世界のお話しさ 自然の豊かな まるで 命の基地みたいな村に嘘みたいな数の機動隊が立ち並び アメリカ軍の戦争の基地のために働いている 嘘みてえな本当の話し

 

東京 沖縄 SUMMER TIME 平成二十八年の夏
おばあさんは、ジャングルの村の国道で機動隊員一人一人に話しかける
立ちはだかる無表情の向うに隠れる人間の欠片に向って話しかける
まるで あの遠い夏休みに婆ちゃんの戦争の体験話しを聞いている 誰かのように見えてくる するとその1人の若い機動隊員はやがて うなずいて笑顔を見せた
54回目の夏 目撃したのは心のトンネルの開通の瞬間だった
おばあさんは今日も出かける ジャングルの川の橋の上で洗濯 人間の心の汚れを落す
もう一回洗い直す まるであの昔話は まるで世界の最先端だ
この国のトップダウンの最先端が目の前で展開されてる
標的の村 高江 東京からはよく見えないようになってる

 

東京 沖縄 SUMMER TIME 平成二十八年の夏
泥のように疲れた身体を誘われるまま海へ運ぶ
誰もいない真っ青な海と空が溶けて染込む
その端っこに身体を浮かべる キワドイときに掴む静寂
青い星にオレが染込む 青い星がオレに染込む
青い星にオレが染込む 青い星がオレに染込む
東京 沖縄 SUMMER TIME 平成二十八年の夏 キワドイときに掴む静寂

 

東京 沖縄 SUMMER TIME 平成二十八年の夏
公衆便所のカナブンの恩返し どうもありがとう

 

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Nuclear Disaster in Fukushima - どのように日本政府と日本のメディアは対応したのか

CNN が伝える、

日本政府と日本のメディアは福島にどう向き合ったのか。

 

Today's Workshop

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五年後の検証番組。

 

福島がちゃんと報道されなかったのは、

各社の取材規制だけのせいではないだろうが、

ここではその取材規制についてやっと語られている。

 

 

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テレメンタリー 2016

その時、『テレビ』は逃げた〜黙殺されたSOS〜

 

3.11の想像を超えた原発事故について、抗議メールが多くきていたにも関わらず、テレビ朝日では当時「指示があるまで取材は行わない」というルールを定め取材を行わなかった。

福島第一原発の事故直後、菅直人総理大臣は含む福島第一原発から半径20~30kmは屋内退避指示を行った。その地区に含まれる南相馬市では、大半が屋内退避指示となったが、町に住みつづけ店を開いた石沢さんによると、震災直後は食料がすっからかんの状態だったという。物資を運ぶドライバーが放射能を恐れ町に入ることを拒み、食料、ガソリンなどの物流が止まったためだという。その後、住民1万人以上が取り残されたが、屋内退避から5日後の3月20日に、東京から食料が届いた。

震災翌日、南相馬市の沿岸部の被害は津波により甚大だっただけでなく、原発メルトダウンの一報で今後取材の立ち入りはできなくなった。当時のテレビ朝日編集長である宮川は、当時を振り返りスタッフの安全確保が第一と、取材クルーに沿岸部から全面撤退を指示。その後、取材禁止エリアは半径30km以内だったが、そこにわずかでもかかる自治体全域の取材を禁止することに拡大。安全管理をしていた関川は、この取材制限の理由に、市町村のどこまでが半径30km以内かわからないためだという。さらに宮城から茨城の一部にまで及ぶ広大な取材禁止エリアが生まれた。原発事故当時、福島で取材していた千野は、実際に福島から避難した人に原発以外の福島が報道されない理由を問われ、福島の人の思いが伝わらないと言われたという。さらに、アメリカでは原発から半径80km圏内の国民に避難を呼びかけた。原発事故の取材について、どこが安全かどうかが分からず、さらに宮川、関川は、地元の福島放送には、空間線量を測るサーベイメーターが装備されておらず、知識、経験、装備や情報がなにもないため取材を退かざるを得なかったという。

東日本大震災から1ヶ月、テレビ朝日には視聴者からの抗議メールが1万3000通届いた。送ったうちの一人である但野さんは、息子への放射能の影響を恐れ、2011年5月、南相馬市から群馬県に避難した。当時メールを送った気持ちを聞くと、屋内退避ではテレビを見る以外にすることがなく、そのテレビも計画停電で見られず、取材陣は入れないが、その場所で生活するしかなかったという。テレビ朝日系列の福島放送は、屋内退避エリアの住民への電話取材や、屋内からの取材にとどまった。アナウンサーの笠置は、当時住民から直接SOSが来ており、取材が来ない理由を問われたが、答えられなかったといい、探り探りで最善の方法を伝えていたという。安全確保を理由に取材をやめた背景には、17年前に理由があったという。

 

1999年、JCO東海村臨界事故で放射線を浴びた記者が死亡する重大事故があった。当時のニュース番組では、原発から4kmの場所で取材しており、線源に近づきすぎていた。宮川は、当時放射線の被害は想定できておらず、女性スタッフによる取材や、ヘリによる接近での取材があったという。このときの反省から、取材可能な空間線量の上限を毎時10マイクロSvなどを定めた取材マニュアルを設けた。しかし、5年前の原発事故では、50km以上離れた福島放送の郡山本社でもこの制限を超えた。毎時10マイクロSvを超えた時点で屋内からの取材にとどまり、充分な取材や情報提供ができなかったという。宮川は過去の経験が重しとなり、取り残されているSOSを無視することになってしまったと語る。

テレビへの抗議メールを送った廣瀬さんは、南相馬へ取材が来なかったことに恐れて来なかったのではないかと当時を振り返った。テレビ朝日の水谷は、南相馬への取材を、許容放射線量が低いことを理由に上司に直訴したが、認められなかった。日本では信じられない状況をどうしても伝えたく、返事に納得がいかなかったと当時を語る。河本記者は、被災者が避難した先は安全なためだとして、取材禁止エリアに入り原発作業員の家族を取材した。宮川は、この記者に対して、何よりも取材スタッフの安全を確保したいと答えを出せないでいた。

屋内退避指示から3週間経った4月、ようやく南相馬への取材を再開。町では復旧が始まっていた一方、沿岸部は手付かずな状態を報じた。福島放送記者の高橋は当時をこれ以上ない悲劇だと語った。現在、原発が再稼働するなか、政府は伊方原発原子力災害を想定した防災訓練を実施するも、かつて深刻な状況を経験しながら屋内退避の想定は変わらず。船で逃げるしか無い住民もいるといい、住民は取り残されたら死ぬことと同じだという。テレビ朝日原子力災害取材マニュアルを改訂、高線量でも一時的に取材できるようになった。宮川は安全を確保しつつ取材して報じていくことを忘れてはいけないとした。

 

 

映画『ドリーム』の公開が始まりました - 隠された真実、かつての宇宙開発に貢献した若きアフリカ系アメリカ女性たちのすがたを追って

昨日から映画公開だね !

ドリーム。

 

映画『ドリーム』NASAの頭脳として宇宙開発を支えた“元祖リケ女”の活躍描く実話 | ファッションプレス

全米では、昨年末の限定公開を皮切りに大きな評判を呼び、年明けから拡大公開を迎えると『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』を抜き去り全米映画興行ランキング1位を獲得。その後も公開から11週連続でのランキングTop10入りを果たし、日本でも大ヒット中の『ラ・ラ・ランド』を上回る興行成績を記録。さらに本年度の第89回アカデミー賞では、3部門(作品賞、助演女優賞、脚色賞)にノミネートされている注目作となっている。

 

youtu.be

 

見てみたいね~ !

 

でも、この映画の話をするのに、

今日は、ずいぶんとまわり道してみようと思います。

 

まずこの人から。

 

ローレンス・サマーズ (Lawrence Henry Summers)。

自由主義経済学者、クリントン政権下で財務長官、ハーバード大学の学長などを歴任。また醜悪な「サマーズ・メモ」スキャンダルもあった。

 

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ハーバード大学では、サマーズは、ことごとく社会学・人文科学系の学科をないがしろにするので、対立が絶えなかったのだけど、アフリカ系アメリカ人の著名な哲学者で神学者である Cornel West との喧嘩は有名で、

 

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そのせいで、Cornel West はハーバードからプリンストン大学に移ってしまいました。

 

sophist.hatenablog.com

 

あともうひとつは、サマーズがハーバードをやめさせられることになった事件、それが、ジェンダーについての大論争を引き起こすことになります。

 

サマーズの「生まれつきの女性と男性の生まれつきの差が、女性がより科学や数学の分野で成功している人が少ない理由かもしれない (innate differences between men and women might be one reason fewer women succeed in science and math careers) といった一連の発言は、その当時のアメリカそして世界で大論争を引き起します。

 

ま、それでサマーズはハーバードをやめることになったんだけど。

 

しかし、みんなはどう思う?

サマーズのようにやはり女性は化学や数学の分野で実際に活躍している人が少ないのは、男性よりもその分野で違いがある、あるいは劣っていることの何らかの証明になるのでしょうか。

 

西洋で女性たちが大学に入り、男性と同じ教育を受けれる機会を得ることができるようになったのは、ほんとうについ最近のことです。

 

また女子大にいけたとしても、そこで学べる学問のメニューは家政学や文学などが主流で、「良妻賢母」になるための教育でしかありませんでした。

 

鉛筆を持つことすらが大変だった多くの女性たちにとって、女性が「良妻賢母」になるための学ぶべき教養としての文系よりも、理系の学科はもっとも排他的な分野だったのです。

 

そんな歴史が圧倒的に長くて、最近やっと理系女なんてことばがでてきましたね。

 

さらに、会社だってそうだけど、女性のスタッフが必死で頑張ってきた業績も、つるっと、だいたい上の男の上司の手柄になってしまうこと多し、と女子グチ。まじで下手した責任は思いっきり背負わされるけど (笑)。結構これ、みんな、あるあるある~、とかいってるネタ (笑)。

 

しかし、こうした排他的な理系の白人男性中心主義的な学問の世界で

がんばったにもかかわらず、「無名」にさせられてきたたくさんの人々の存在があった。

 

現代の歴史研究では、そんなアフリカ系アメリカ人のひとたちや、女性たちの活躍を、しっかりと掘りおこし再評価していく流れがあります。

 

これが歴史学の醍醐味ですね。

 

実は、この「ドリーム」という映画もそう。

 

冷戦時代の、アフリカ系アメリカの女性の科学者たちが、白人男性ばかりの NASA で働き始める。

 

 

そして彼女たちは一人ではなかった。

 

映画『ドリーム』は、ついにNASAの「隠れたヒーロー」を描き出すことに成功した|

WIRED.jp

2017年9月29日に日本でも公開される映画『ドリーム』。NASAマニアも脱帽の細かい演出とともに、いままで語られることのなかったNASAの「隠れたヒーローたち」の姿を描き出した。その背景と舞台裏について、NASA歴史学者の言葉などから改めて明らかにする。

 

TEXT BY CHARLEY LOCKE

 

1962年2月20日。何百万人もが見守るなか、ジョン・グレンはアメリカ人として初めて地球を周回した。NASAのあらゆるミッションと同じように、彼の単独宇宙飛行は大規模な組織的な取り組みの成果だった。

しかし、その努力はヒューストン飛行管制センターのなかだけにおさまるものではない。マーキュリー宇宙船の飛行の背後には、技術者、物理学者、そしてその業績がほとんど注目されなかった「計算手」と呼ばれた人々のチームが存在していたのだ。

そして今年、彼らはついに映画『ドリーム』のなかで、その功績を認められることになる。

語られることのなかった英雄たち

『ドリーム』に登場する、キャサリン・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)、ドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)、メアリー・ジャクソン(ジャネール・モネイ)の3人組のような女性たちや有色人種の人々は、宇宙飛行において重要な役割を果たしていた。だが、1960年代に彼らのストーリーが語られることはなかった。

NASAの歴史は、そのほとんどがソヴィエト連邦と宇宙開発競争を繰り広げた宇宙飛行士についての歴史でした」と、NASA歴史学者、ビル・バリーは語る。彼は当時、自宅の居間の床に座って白黒テレビを観ながら、そこに映し出されるグレンの宇宙飛行を見守ったことを鮮明に覚えているという。

しかし90年代初頭になると、学者たちはNASA職員の歴史に関心を示し始める。NASAの公文書保管人は、ヴァージニア州にあるNASAのラングレー研究センターに勤務していた元女性計算手たちにインタヴューを行うなどして、こうした秘話を明るみに出し始めた。

その後、作家のマーゴット・リー・シェッタリーは彼女たちへの取材を行いながら、『ドリーム』の原作『Hidden Figures: The American Dream and the Untold Story of the Black Women Mathematicians Who Helped Win the Space Race』のリサーチを進めた。この作品は出版前の段階で、映画化のオプションが取得された。

 

『ドリーム』で焦点が当てられているのは、キャサリン・ジョンソンのストーリーだ。彼女は、グレンの着陸を正確に予測するために、最新のIBM計算機が行った何千件もの計算を苦労して検算した人物である。

しかし、筋金入り歴史学者であるバリーにとっての真の英雄は、ドロシー・ヴォーンだ。元高校の数学教師の彼女は、急成長するNASAで数学を仕事にすることの可能性を見出し、NASAで全人種の女性計算手のために立ち上がった。やがてIBMのマシンが計算手という職業の脅威になると、ヴォーンは変化する状況を認識し、部下の計算手たちにプログラマーになるよう指導。やがてコンピューター・プログラミングの先導者となった。

「現在、わたしたちは60年代と同じように、テクノロジーが仕事を変えていく時代にいます」と、バリーは語る。「ドロシーには次に何が来るかが見えていて、自分自身を何度もつくり変えていったのです」

NASAマニアでなければ気づかない仕掛け

宇宙旅行に関するプロジェクトに取り組む映画製作者は普通、映画『オデッセイ』のようにただNASAの記章を使用することや、『トランスフォーマー』に出てくるNASAのジェット推進研究所のように、NASAの敷地でシーンの撮影を行うことをバリーに頼んでくる。

しかし、『ドリーム』で脚本と監督を担当したセオドア・メルフィは、何時間もかけてバリーと一緒に脚本を確認した。これほど細部に至るまで確認したのは、バリーの記憶にある限り、トム・ハンクスが1998年に制作したドキュメンタリーテレビドラマ『フロム・ジ・アース/人類、月に立つ』以来、初めてのことだった。

バリーは、62年当時ラングレーの駐車場にあった自動車の型番から、ソヴィエトのロケット発射のニュースがホワイトハウスに届くまでの所要時間まで、詳細を事細かに確認した。「この映画には、奇妙で突飛な歴史的なものごとがたくさん詰め込まれています」とバリーは語る。「わたしのようなマニアでもない限り、気がつかないでしょうね」

 

バリーは何人かの隠れキャラクターも手掛けた。

ジョン・グレン(グレン・パウエル)が発射前のロケットの中で座席についているシーンで、カプセルの表面にペンキを塗っている白いスカーフの女性を探してほしい。彼女は、グレンが乗った宇宙船「フレンドシップ7」の記章をデザインしたアーティストのシーシー・ビビーだ。

60年代には、たいていは男性がロケットの名前をステンシルで描いたのだが、グレンは特別なデザインを希望した。記章のデザイナーが女性だと知ると、グレンは男性の上司たちからの反対にもかかわらず、彼女に手書きで記章を描いてもらいたいと言って譲らなかったのだ。

しかし、驚くほど人々に知られていないのはビビーのストーリーだけではない。国際宇宙ステーションまで2度の飛行経験がある宇宙飛行士のステファニー・ウィルソンは、この本と映画が公開されるまで『ドリーム』に描かれた女性たちのことを聞いたことがなかった。実際、ウィルソンはロールモデルとなる女性エンジニアが存在しないなか、NASAでキャリアを築いたのだ。

「80年代の後半に職場に入ったとき、85人のエンジニアがいましたが、そのうち女性は5人でした」と、ウィルソンは言う。彼女は男性宇宙飛行士が宇宙に飛び立つのを見守り、故郷の男性天文学者と話すなかで宇宙の旅のことを聞き知った。「冒険心に溢れ、探査の最先端にいる。宇宙飛行士になることは、わたしにとって本当に魅力的でした」と、彼女は語る。

いまではウィルソンのように銀河に好奇心をくすぐられている若い女性たちが、宇宙で歴史をつくった女性たちの足跡を振り返ることができる。自分たちも星を見上げ始める前に。

 

また、この映画の原作になったこちらの本も読んでみたいところ。

 

Hidden Figures: The American Dream and the Untold Story of the Black Women Mathematicians Who Helped Win the Space Race (英語) ハードカバー – 2016/9/6

 

 

歴史はいつも私たちに勇気を与えてくれるね。

 

大学で、そんな素晴らしい歴史をひとつづつ学んでいこう!

 

 

The New Testament - Luke 10:25 - Parable of a Good Samaritan 善きサマリア人のたとえ話

good samaritan に対する画像結果

 

The New Testament

Luke 10:25-

Parable of a Good Samaritan

 

3分15秒から

www.youtube.com

 

good samaritan に対する画像結果

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Spirituals - 黒人霊歌

Spirituals (黒人霊歌)

 

 James Hopkinson's Plantation. Planting sweet potatoes. ca. 1862/63

 

① Go Down Moses

 

When Israel was in Egypt's land
Let my people go
Oppress'd so hard they could not stand
Let my People go

Go down, Moses
Way down in Egypt's land
Tell old Pharaoh
Let my people go

 

② Steal Away To Jesus

 

Steal away, steal away, steal away to Jesus
Steal away, steal away home
I ain't got long to stay here

My Lord, He calls me
He calls me by the thunder
The trumpet sounds within-a my soul
I ain't got long to stay here

Green trees are bending
Po' sinner stand a-trembling
The trumpet sounds within-a my soul
I ain't got long to stay here

 

③ Swing Low, Sweet Chariot

 

 

Swing low, sweet chariot
Coming for to carry me home
Swing low, sweet chariot
Coming for to carry me home

I looked over Jordan, and what did I see?
(Coming for to carry me home)
I saw a band of angels coming after me
(Coming for to carry me home)

 

If you get back to heaven before I do
(Coming for to carry me home)
You'll tell all my friends, I'll be coming there too
(Coming for to carry me home)

 

Amazing Grace

 

歴史に残るレコーディングはこちらから

 

Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.

'Twas grace that taught my heart to fear.
And grace my fears relieved;
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.

Through many dangers, toils and snares.
I have already come;
'Tis grace has brought me safe thus far,
And grace will lead me home.

When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun.

 

Wikipedia

ジョン・ニュートン(John Newton、1725年 - 1807年)は、イギリスの海軍兵士から奴隷商人を経て牧師となった人物であり、賛美歌アメイジング・グレイス」の作詞者として知られている。

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Old Testament - Exodus 3:1-16 - モーゼと燃える柴

Moses and the Burning Bush

 

The Old Testament

Exodu 3:1-

 

burning bush に対する画像結果

 

5分29秒から

www.youtube.com