アイヌ (1) 急増するヘイトに負けず、アイヌとして生きる若者たち - 大学でアイヌ文化を「育て合い」
今、ネットでは、アイヌの人たちや沖縄の人たちや在日外国人の人たちにたいするヘイトであふれている。問題なのは、ある種の日本の政治家が、積極的にこうしたアイヌ否定論を展開していることです。
ネットでアイヌを検索すると、すさまじいアイヌヘイトから、穏健なアイヌ否定論や、かなり巧妙なフェイクニュースがあふれていて、びっくりしました。ちょっと検索してみますね。
アイヌヘイトを繰り返す元北海道道議会議員のネトウヨ。
— たくみ@国難去れ!! (@takumi0507j) 2017年11月23日
本当に恥ずかしくないのだろうか。
人として最低だ。 https://t.co/c7ZIOsnr7X
こんなヘイターが、そのヘイトで一定の人気を集め、ネットで大活躍している。ネットで拡散すれば、知識がないと、デマでも簡単に信じられてしまう。
でもそんな中でも、若者たちはがんばっている。
アイヌ民族。17世紀ごろより東北地方の一部から北海道、旧樺太(サハリン)などに定住し、自然とともに生きてきたとされる。しかし、アイヌ文化の伝承などを目的とした法律が制定されたのは、わずか20年前のことだ。それ以前は独自の文化が否定された時代もあり、いまに至るまで差別の対象となっている。和人(大和民族)との同化も進み、アイヌの伝統は途絶えつつあるという。そんな中、「文化のひとかけらがなくなってしまう」と危機感を抱き、自らの文化を学び、継承しようとする若者たちがいる。あなたはアイヌを知っていますか?(Yahoo!ニュース 特集編集部)
「後継者がいないんですよ」
祭りは静かに始まった。午前10時、屋内で炉の火を中心に鮭の切り身が串刺しになって焼かれ、その周りを民族衣装をまとった30人ほどの男女が囲んで座った。最初に祈りを捧げるのは、人と神々の通訳とされる火の神「アペカムイ」。屋外ではシャクシャインの像を前に複数の舞踊が披露された。
年に一度の一大行事。北海道全土からアイヌの人々が集う儀式だが、今年の会場をのぞいてみると中高年者の姿が目立った。
「僕が最年少ぐらいな感じなんですね。僕は50歳なんですけど。場合によっては70歳という方もおります。(若い世代が)10人くらいいてくれれば行事の進行も楽になるかなと」
菅原さんは語る。
「協力してくれる30代40代は少ない状況で、後継者がいないということなんですよね」
そんな中、20歳前後の若者が3人、裏方として奔走していた。いずれもアイヌで、大学の課外活動でアイヌの言葉や舞踊などを学ぶ学生だという。彼らは自らの文化をどのように捉えているのだろうか。まずは、法要祭の様子と、若者らの姿を動画(約10分)で見てほしい。
同化政策で薄れるアイヌの民族意識
そもそもアイヌとは、どういう人たちか?
東北地方北部から北海道、旧樺太(サハリン)、千島列島にかけての地域で生活してきた先住民族で、かつては、狩猟、漁労、採集を行い、自然と共生してきた。しかし、その歴史を見ると、和人(大和民族)によって支配・差別されてきたことが分かる。
アイヌと和人との確執は数百年前からあった。その関係が決定的になったのは、1899年に制定された「北海道旧土人保護法」。明治政府は「保護」を名目に、アイヌの土地の没収、漁業・狩猟の禁止、アイヌ固有の習慣や風習の禁止、日本語の義務化、日本風氏名への改名などを強制した。こうした政策は和人との同化を進め、差別も生み出した。
それでもアイヌとしてのアイデンティティーを持つ人は、減少しているという。北海道の2013年の調査によると、道内に住むアイヌの人々のうち把握できたのは1万6786人。アイヌの血を受け継いでいると思われても、本人がアイヌであることを伏せている場合は調査対象とならず、正確な実態は分かっていない。
アイヌとしての生きづらさ、いまも
動画にも登場した、札幌大学3年の学生、芦沢さん(21)は、法要祭が行われた静内地区の出身。父親がシャクシャイン像の立つ公園の管理人だったこともあり、幼い頃からアイヌ文化に触れてきた。ところが、地元の同世代の友人らの中では、差別などを意識してアイヌであることを公にしている人は限られていたという。
「名字などから、『あれ、ウタリ(アイヌ)だぞ』という人がいたにはいたんですけど、素性を隠す感じですね。アイヌを隠している人が多いんですよね。学校で事実上(自分のことを)アイヌって言っているのは僕一人でしたね」
芦沢さんは、顔立ちなどからアイヌの人々が依然として差別されていると感じたという。
「(自分自身)小学校の頃はちょっとしたいじめにあったり…なかなかつらい。中学高校の頃にも『お前アイヌだろ』みたいなちょっと茶化す感じで言われたので」
大学でアイヌ文化を「育て合い」
課外活動は「ウレシパクラブ」と呼ばれる。ウレシパとは育て合いの意味。学内の教室や部室で週に2回、夕方から夜にかけて行われ、アイヌの中高年者らを講師に招くなどして言語や歴史、歌唱、舞踊など、アイヌ文化を学んでいる。メンバーは17人。うち12人がアイヌだ。シャクシャイン法要祭の裏方として芦沢さんとともに活動した男子学生2人もウレシパクラブの後輩だ。
上河さんはウレシパクラブのことを知り、札幌大に入学した。
「(高校時代に)自分にアイヌの血が流れていることを知って、学びたいなと思ったのがきっかけです。同級生のお母さんはアイヌ文化を伝承していて、そういうのに関われないのかなあというのはありました。アイヌ文化を学んでいるのが楽しいです。最初は踊りだけだったんですけど、歌も喉の使い方とかでき始めて、それも楽しいです」
「自分がアイヌだということは知っていたので、周りにアイヌの親戚とかいるんですよ。その発言を聞いて、その(親戚の)人たちがなかったことにされるのが正直腹が立って。どうしても反論したいんだけど、アイヌ文化に関して何も勉強していなかったんで、何もいえない自分が悔しくて…」
「風向き変わった」と専門家
内閣官房は昨年、アイヌの人々を対象とした調査結果を公表した。調査に応じた705人のうち72.1%が現在も差別や偏見が「あると思う」と回答、「自分が差別を受けている」と答えた人も36.6%いた。具体的な場面については「職場で不愉快な思いをさせられた」「結婚や交際で、相手の親族にアイヌであることを理由に反対された」などが多かった。
「アイヌ文化すてきねとか、アイヌかっこいいね、って言う方が増えてきました。それはとてもいいことなんですけど、子どもたちに対して『あなたアイヌなんだから、アイヌとして堂々と誇りをもって生きていけ』というわけです。でも、全くそのための材料が与えられていない。言葉も知らない、歴史も全く知らない。アイヌの若者たちはずっと悩むんですよ」
アイヌでない学生も関心
アイヌの出自がなくても独自の文化に魅了され、ウレシパクラブに入った学生もいる。原田さん(21)はその一人だ。
原田さんはアイヌの歌と手拍子だけの踊りに「すごみを感じた」と言う。
「親の世代はアイヌに対して差別的な考えを持っている方が多いですよ。身近な親戚とかが『アイヌ文化学ぶのやめときな』とか言ってきたりしますね。僕はなんで学んじゃだめなんだろうって思っちゃいますね。(上の世代は)何も知らずに考え方が根付いているんだなって思います。僕ができることは教育。アイヌ民族は誇りを持って生きている、素晴らしい民族だと伝えたいですね」
文化継承、若者に期待
「20代の人が祭りの中で手伝ってくれるというのは心強い。儀式全体を見渡せる環境におりますから、ウレシパを卒業して社会人になっても一緒にやってくれれば我々の後継者として、今後を背負っていけるのかな、あるいは背負ってほしいなという願望を持っております」
芦沢さんも、その期待に応えたいと思っている。
「アイヌの舞踊も文化の一つ。アイヌ語も文化の一つ。儀式作法なり、祈り言葉なりも文化の一つなので、残していかなきゃいけないですし、これが途絶えてしまったら文化のひとかけらがなくなってしまうことになる。それがそろってアイヌ文化なので。儀式も残していかなきゃいけない文化の一つとして僕は捉えています」
アイヌとして生きる
ウレシパクラブ以外にも伝統を残そうと模索するアイヌの若者がいる。萱野さん(29)。高等専門学校卒業後、神奈川県で4年間機械設計会社に勤め、2013年に故郷の北海道平取町二風谷(びらとりちょう・にぶたに)に戻った。
「若手のアイヌの人たちが、どんどん二風谷を離れていく中で、誰かがそういう技術みたいなものを残していかないといけないかなと、戻ってきた感じですね。この北海道という土地で、僕たちの先祖がどうやって生きてきたんだということを、知る機会と考える機会になるかなあと思いまして」
これまでに、アイヌの伝統的家屋「チセ」の復元、修復、新築などに携わってきた。
萱野さんは語る。
「(チセは)自然の素材を自然のまま使うことが現代の建築とは違うと思うんですよね。山に生えている木って四角いわけはない。丸いんだから、うまく使える木を持ってきて余分な手を加えないで自然にあるものを使うということがアイヌの知恵なんじゃないですかね」
「自然とともに生きるということ。山を知るとか、川を知るとか。都会は便利だけど、不自然だと思う。物もたくさん消費するし。アイヌは物をすごく大事にしますし、全てが自然の恵みというか。僕はこの地元に帰ってきて、先祖が残したものを少しでも、また、次の世代に伝えていけるように、そういう活動に、関われたらいいなあと思っています」
[制作協力]
オルタスジャパン
[写真]
撮影:小荒井隆、野口隆史、オルタスジャパン