Sophist Almanac

世界について知りたいとき

私たちひとりひとりが歴史と向き合い続ける勇気を持つこと ~ 「北海道」150年目「アイヌモシリに生きる」

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アイヌシモリとは、

アイヌ語で「人間の静かなる大地」を意味する言葉

 

NHK 札幌放送局の北海道150年シリーズ2回目。

「アイヌモシリに生きる」見てみよう。

 
2018年で「北海道」という名前が誕生して150年目になります。

 

それまで、江戸幕府や明治政府は、あの広大な静かなる大地を蝦夷(えぞ)地と呼んでいました。蝦夷とは中央政権から見て異民族という意味です。

 

1869年(明治2)8月15日の太政官布告で、政府は蝦夷を北海道と呼ぶことにしました。

 

凄まじく暴力的な日本の同化政策 (assimilation policy) と差別は、アイヌを徹底的に「見えない存在」に押し込めてきました。

 

そして、それは今も続いています。

 

しかし、どんな力も、彼女たち、彼らたちから、人間の尊厳と、大切な記憶を奪うことはできませんでした。アイヌシモリの記憶。

 

このドキュメンタリーみてみよう。

めっちゃ感動した。

 

だいぶんたって、ある日、自分がアイヌの血をひくということを知った若い研究者は、どんな論文をかくのでしょう。

 

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じいちゃんと父さんのレガシーを引き継ぐ若い青年は、これからどんなことを私たちに伝えてくれるのでしょう。

 

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テーマはアイヌ民族。北海道の開拓は、アイヌにとっては同化を迫られ差別に苦しみ続ける苦難の始まりだった。

文化を守るために、百冊のノートに言葉や伝統を書き留めた祖父と、その教えを守り続ける子や孫。

同化にあらがい、持ち去られた遺骨を取り戻そうとする男性。

アイヌをルーツに持ちながらも歴史の断絶に悩む若き研究者。

それぞれの家族に密着し、アイヌの150年、そして未来を見つめる。  

 

 

 

 

また、大学でも大人気の学科である人類学 (anthropology) 。

 

そのもともとのルーツは、進化論 (evolutionism) を社会学にアプライし、「固有の人種や民族は、他の人種や民族よりも優れている/劣っている」ということを科学的に証明しようと血道をあげていました。いわば科学的人種差別 (scientific racism) だったのです。愚かなことです。

 

それで日本でも研究のために沢山のアイヌや沖縄の人たちの遺骨が盗掘され、大学の研究室に持ち込まれました。そんな差別的な研究のために、たくさんの遺骨が奪われたのです。

 

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しかも、日本の多くの大学は、今もその返還に応じていません。

 

京都大学はいまだに沈黙を続けています。

 

sophist.hatenablog.com

 

今回、北海道大学の代表者としてやってきた北海道大学の副学長は、遺骨返還の儀式で、ぜったいにアイヌの人たちに謝罪しませんでした。彼は、棒のように突っ立ったままでした。

 

彼は、そこに立ったまま何を考えていたのでしょう。

 

学問のために遺骨を盗掘しずっと研究室に「保存してあげた」ことは悪くない、と思っていたのでしょうか、学者としてのプライド? それとも政治的な思惑? それとも経済的な理由?

 

 

北大:アイヌ首長遺骨を返還へ 写真残存者で初 - 毎日新聞

 

樺太(サハリン)のアイヌ墓地から持ち出された地元集落の首長、バフンケ(1855~1919年ごろ、日本名・木村愛吉)の遺骨が、北海道大から遺族へ返還されることが決まった。アイヌ民族の遺骨は全国の大学などに1600体以上保管されているが、身元が分かる遺骨は38体のみで、生前の写真や逸話の残る人の遺骨返還は初めて。【三股智子】

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ピウスツキが撮影したバフンケとされる男性

 

 樺太(サハリン)のアイヌ墓地から持ち出された地元集落の首長、バフンケ(1855~1919年ごろ、日本名・木村愛吉)の遺骨が、北海道大から遺族へ返還されることが決まった。アイヌ民族の遺骨は全国の大学などに1600体以上保管されているが、身元が分かる遺骨は38体のみで、生前の写真や逸話の残る人の遺骨返還は初めて。【三股智子】

 

アイヌ遺骨ドイツが返還 138年ぶり日本に>
<ドイツで放置 アイヌ遺骨問題を考える>
アイヌ遺族会設立 「遺骨は末裔が慰霊・供養」>

 

 バフンケは樺太東海岸にあった集落「アイ」の首長を務めた。ロシア語や日本語に堪能で漁業で財を成し、樺太に滞在した言語学者の金田一京助(1882~1971年)の著書「北の人」にも触れられている。ポーランド貴族出身でロシアの政治犯として樺太に流刑されたブロニスワフ・ピウスツキ(1866~1918年)が寄宿し、バフンケのめいのチュフサンマと結婚した。

 

 バフンケの遺骨を持ち出したのは、北海道帝国大(現・北海道大)医学部の研究グループとみられる。同大の資料に1936年8月にバフンケの遺骨を発掘した記録が残っている。

 

 遺骨の返還は、ピウスツキとチュフサンマの孫で、横浜市に住む木村和保(かずやす)さん(63)の請求で決まった。木村さんは北海道で生まれ、三十数年前にピウスツキの研究者からルーツについて教えられ、昨年になって、この研究者から同大に遺骨が保存されていることも知らされた。

 

 大学側は、持ち去った経緯を明らかにしていない。木村さんは「なぜ遺骨を持ち去ったのか。説明と謝罪を求めたい」と話す。

 

 【ことば】アイヌの遺骨

 

 19世紀から人類学が盛んになるにつれアイヌ民族への関心が高まり、北海道や樺太、千島列島のアイヌ墓地などから大量に収集された。国内の12大学と博物館など12施設に1600体以上が保管され、国外にも流出している。昨年7月にはドイツから1体返還されたほか、オーストラリアの3体も返還に向けた交渉が進められている。遺骨は2020年までに北海道白老町に国が建設する慰霊施設に集約される予定で、遺族や地域への返還を求めるアイヌ団体が大学などを訴えている。

 

 

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