Sophist Almanac

世界について知りたいとき

歴史的に見れば「汚い」政治は、必ず「汚い」やり方で報道や学問に圧力をかけます。私たちはそのような時代に生きているのでしょうか。

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任命されなかった立命館教授「学問の自由が政権の影響受けてはならない」日本学術会議 | MBS 関西のニュース

 

日本のメディアが「令和おじさん総理」の祝儀報道で、緊張感のない「ゆるふわ」な日本的「報道」を作ってさしあげているあいだ、いきなり最初から菅政権、本体の特性がまるっぽ出ていて、すごいなーと思いました。

 

日本学術会議という、戦後の日本の学問の独立性と自由を守ってきた組織に、あからさまに政治的な介入で、ちょっとこれは、もう、戦前の日本の政権が学問の現場を飲み込むためにやってきたことを、大っぴらにやり始めたとしか・・・。

 

  

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 「日本学術会議」をめぐり、菅首相が6人の新会員候補の任命を見送ったことに対し、任命されなかった立命館大学の教授は「学問の自由が時の政権の影響を受けてはならない」と批判しています。

 「日本学術会議」の会員に任命されなかったのは、推薦された105人のうち6人の学者です。法律上は、学術会議の推薦に基づき内閣総理大臣が会員を任命するとしていて、推薦者が任命されなかったのは今の制度になった2004年以降初めてですが、政府は理由を明らかにしていません。任命されなかった内の1人、立命館大学松宮孝明教授(刑事法学)は2017年に安倍政権のもとで成立したいわゆる共謀罪法を厳しく批判していました。

 (立命館大学 松宮孝明教授)
 「手を出してはいけないところに手を出したと。学問の自由について時の政権の影響を受けてはならない。」

 また、京都大学の芦名定道教授(宗教学)も任命されませんでした。京都大学の湊長博新総長は10月2日の就任会見で「一般論として学問の自由は担保されるべき。今回のことにいては政府機関の中で起こっていることを知りたい」と話しました。

 

学術的ではない「任命拒否」の理由が汚い

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日本の科学者でつくり、政府から独立して政策の提言などを行う日本学術会議の会員について、菅総理大臣が任命しなかったのは6人。
研究内容や経歴をまとめました。

【6人の経歴】任命されない教授はどんな研究を 日本学術会議 | 菅内閣発足 | NHKニュース

 

こどもだったころ、特攻隊とか原爆とか、誰も逃げることのできない状況で死んでいかなければならないような戦争の話は、想像のできない恐怖でしかありませんでした。それで、おばあちゃんに聞いたのは、「なんで誰も戦争に反対とかしなかったの !?」という疑問でした。

 

みんな疑問に思うよね。

なんで誰も疑問や反対を言わなかったのかと。

 

それで、大人になったら、そのことを詳しく知りたい、と思うようになりました。

 

つまり、どうして日本はあれほどの非人道的で常軌を逸した戦争のやり方にのめり込んでいったのか。学校の偉い先生とか、学者先生とか、政治家とか、みんな何を考え、何をしていたんだろう、って。

 

それで大学に入って、暇がある時には意識して歴史を学ぼうと思いました。

 

学ぶにつれて、本当にいろんなことが次々とわかってくるのですが、結局、報道や教育や研究の現場に政治が介入することで、いとも簡単に「状況」は作られていくのだということです。

 

 

 

 

例えば研究機関を懐柔するには、まず、予算を削り、研究機関を餓死寸前に追い込む。そして思い通りの研究をしてくれる研究者には潤沢な研究資金と大きな権限を与える。これは今の政権がやっていることですが、そのまま戦前戦中にやっていたことと同じです。

 

日本の大学を軍事研究に参入させたい政権のおもわく

 

日本はちょうど五年前の今頃、2015年10月1日に装備庁を設置。

 

今回の介入は、日本の大学を軍事研究に参入させることの大きな障壁となってきた日本学術会議を内側から無力化させたい政権側の意図が丸見えで、ちょっとエゲツナイすぎます。

 

こちらはちょうど一年前の記事から。

 

兵器など防衛装備品の開発につながりそうな研究に、政府が資金を出す「安全保障技術研究推進制度」の今年度の実績が、先ごろ発表された。応募は2年連続減の57件、採択は16件で、防衛装備庁は制度開始5年目で初めて追加募集に踏み切った。大学の応募は過去最少の8件にとどまった。

 

5年間で最大20億円が支給される好条件にもかかわらず、応募が少ない背景には、日本学術会議の働きかけなどを通じて、制度の問題点が広く共有されたことがあるだろう。科学者の倫理や社会的責任を踏まえた対応であり、評価したい。 

 

学術会議は1950年と67年の2回、軍事研究を否定する見解を表明。これを継承した2年前の声明では、今回の制度を「政府による介入が著しく、問題が多い」と指摘した。装備開発につなげようという目的が明確なうえ、政府職員が研究の進み具合を管理する点などを、学問の自由の下、人権、平和、福祉などの価値の実現を図る学術界とは相いれないと判断した。 

 

装備庁は「研究内容に口を出すことはない」などと釈明に懸命だが、多くの大学が「軍事研究はしない」との方針を確認している。いったん応募して支給対象になったものの、その後に辞退した例もある。意識は確実に浸透してきている。だが懸念がないわけではない。昨年、学術会議が全国の大学や研究機関を調べたところ、この制度への応募について、大学・機関としての方針や内部審査手続きを定めていないとの回答が、ほぼ半数を占めた。 

 

研究成果が民生と軍事の両面で使われる「デュアルユース」は、科学技術の宿命だ。個々の研究者に判断をゆだね、最終責任を負わせるのは酷であり、大学や機関で考え方に乖離(かいり)があれば、交流や人材の移籍の妨げにもなりかねない。これまでの議論の深まりを受けて、学術会議が音頭をとってスタンダードづくりを進めてはどうか。 

 

研究現場、とりわけ若手の間には「とにかく資金がほしい」「組織で個人を縛るべきではない」との声もある。前者は、政府が研究環境の整備を怠ってきたことの裏返しだ。軍事研究への誘導ではなく、着実な改善こそが求められる。また科学コミュニティーによる自主規律は、自由の侵害ではなく、将来に向けて研究を守ることに通じるとの認識を持つべきだ。 

 

遠くない過去、国内外の科学者は国家に組み込まれ、戦争に協力して、甚大な被害をもたらした。その反省と教訓を若い世代に伝えていくという重い課題にも、科学界は引き続き真摯(しんし)に向き合わなくてはならない。

(社説)軍事研究 「ノー」の意識広く深く:朝日新聞デジタル

 

焚書時代

歴史的に見れば、「汚い」政治は、必ずモブを従え報道や学問に汚い圧力をかけます。であるから、報道や学問の現場は、そのような圧力を常に想定し、国民が意識して報道や学問の自由を守らなければなりません。

 

時の権力に対し、学問の現場が何も言わなくなれば、それは学問の死を意味します。