根性なしでびびりが Rambo 2008『ランボー 最後の戦場』を最後まで見てしまったわけ
- ビルマ軍事政権の人道的犯罪をなまなましく表現
- 日本語訳が「ビルマ」ではなく「ミャンマー」となってる訳
- 映画と現実と、どちらの暴力がひどいんだろう !?
- 人間の精神を退廃させる権力と武力
- 人気ドラマ『相棒7』の八話と九話も
根性なしで臆病なので、バイオレンスもの、猟奇的なもの、ホラーものは、一切見ないんです。つか、見れないんです・・・。
でも、ケーブルテレビつけっぱなしで仕事してて、この映画が始まり、チャンネル変えようと思ったら、なんかすごく見たことある懐かしい風景だなあ・・・と、うっかり目が釘付けになってしまい・・・
山も、川も、どうも見たことあるような、いったことがあるような。
しかも、話のストーリーが、ビルマ (ミャンマー) 軍事政権が支配するカレン民族とタイとの国境の物語で、ロケもタイ北部の国境で撮影されたみたい。
やっぱり。
この映画『ランボー最後の戦場』の舞台は、ちょうど私が行っていたメラウーン難民キャンプも隣接するミャンマーのカレン州の国境が舞台となっているようです。
ビルマ軍事政権の人道的犯罪をなまなましく表現
この国境を渡ると地獄が・・・。
ずいぶん前に、サルウィン川を越えてビルマ側にも数分間だけ渡ったことあるのですが、今と違って、まだまだビルマの東側の国境が恐ろしい戦闘状態にあったころ。
ジョン・ランボーはタイ北部のジャングルで、ボートによる運搬やヘビ狩りを生業としながら、ひっそりと暮らしていた。人権弾圧が続く隣国のミャンマーでは、軍事政権が少数民族カレン族を凌虐し、土地や天然資源を略奪していた。
ある日、ランボーの前にキリスト教系NGOの一団がやって来て、ミャンマーへの案内を依頼する。最初は断ったランボーだったが、NGOの1人サラ・ミラーの熱心な頼みに心動かされ、彼らをミャンマーに送ることを決意する。なんとか彼らをミャンマーまで送り届けたランボーだったが、数日後、あのNGO一行が極悪非道な独裁者ティント率いるミャンマー軍に捕らえられたことを聞く。救出のための傭兵団を送るため、ランボーは再びミャンマーへ向かう。
この映画は、ビルマの軍事政権がカレンやカレニやモンなどの多くの山岳民族を迫害し、アウンサンスーチーさんを軟禁状態に置いていた 2008年に公開されています。
地名や状況を隠すことなく映画化しているので、単なるバイオレンスものではない、フィクションの形をとったドキュメンタリーフィルムともいわれていて、当時のビルマ軍事政権への強い批判にもなっています。
実際に美しく流れるサルウィン川をはさんだビルマとタイの国境では、キリスト教徒も多いカレンの人々を救済しようと、いくつものキリスト教系の NGO 団体が活動しており、そうした背景も映画の筋書きに反映されています。
日本語訳が「ビルマ」ではなく「ミャンマー」となってる訳
1989年6月、軍事政権は国名を Burma から Myanmar に変更すると宣言しました。ビルマの軍事政権に抗議する国々は、この軍事政権国家を "Myanmar" と呼ばず、"Burma" と呼びつづけました。
たとえば 2012年までビルマにはコカ・コーラも売られていませんでした。経済制裁で合衆国がコカ・コーラ社の営業を認めなかったからです。
こうして多くの国はこの軍事政権に反対を表明し圧力をかけていきますが、ところが日本政府はこの軍事政権にいち早くおもねり、日本国内でビルマをミャンマーという呼び名に改め、そして国民の税金でこの軍事政権に恐ろしいほどの多額の援助をしてきました。
日本の対ビルマODAの動向~軍政を支援してきた日本
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/oda_ngo/taiwa/pdfs/seikyo_07_0205.pdf
この映画の中では国名を Burma と呼んでいるにもかかわらず、日本語訳では「ミャンマー」とわざわざ直していますね。なぜでしょうか。
日本国内のビルマ難民の人々や欧米のメディア、民主化を求める人々が、この国の国名をビルマと呼んでいても、日本では、わざわざテレビ番組でミャンマーを通す、いちいち、いちいち、ビルマをミャンマーと呼び変えて報道する。そういう日本のメディアすらが、日本政府の決定のまま、日本のミャンマー軍事政権寄りの姿勢にあらがうことのない報道姿勢をあらわしています。
もちろん、今では、アウンサンスーチーさん解放の後は、一部「民主化」されたという認識で、多くの国々が「ミャンマー」と呼ぶようになりましたが、このころは、民主化を支持する多くの国は、ビルマの民主化を求める多くの苦しんでいる国民と心を合わせ、この国の名称をビルマと呼んでいたのです。
一方日本は、この軍事政権を真っさきに容認し、軍事政権が主張する通り国名をミャンマー名称に変更し、バーマをいちいちミャンマーと言い換えることに統一させ、そして税金で軍事政権に多額の融資をしてきました。
日本政府は、多額のODAを供与してきたビルマで1988年の悲劇が繰り返され、多数の市民が犠牲となったことを重く受け止めなければならない。そしてこれを機に今後の対ビルマODAの方針や内容を抜本的に見直し、ODA大綱に沿い、民主化の促進を真に支えるような援助を組み立てていくべきである。
2007 年度第 2 回 ODA 政策協議会 日本の対ビルマODAの動向~軍政を支援してきた日本 (2007年10月17日メコン・ウォッチ)
ビルマ軍事政権に多額の支援をしてきたのは中国と日本であり、それは私たちの税金でした。
映画と現実と、どちらの暴力がひどいんだろう !?
ともかく、何度かメラウーン難民キャンプに行ったことがある私にとって、映画の中の国境沿いの風景はまさに、あっ、ここ通ったことある、みたいな感覚をよみがえらせるものだったのだけど、
美しいサルウィン川とアジアの熱帯雨林の高原の美しさをよそに、国境のむこうには、恐ろしい現実があるわけで、
映画を見ながら、ずっと思っていたのは、このバイオレンス映画の世界と、現実のミャンマー軍事政権の民族浄化とは、どちらがひどいものなのか、ということでした。
軍事政権の現実は、どのバイオレンス映画よりもひどい。そういうことを再確認しながら、そういうことを忘れないで映画を見ていきたいものです。
こちらは西側の国境にあるロヒンギャの人たちの村での警察による暴力。2017年に問題となりました。
A video showing Myanmar border police slapping and kicking Rohingya villagers in Rakhine State has sparked outrage https://t.co/b9MiV9MBnP pic.twitter.com/Ma8r4OrPsE
— Al Jazeera English (@AJEnglish) 2017年1月2日
人間の精神を退廃させる権力と武力
もう一つ、この映画が私たちに示してくれているのは、権力と武器というものが、いかに人間の精神を退廃させるかということ。
武器を持ち圧倒的な権力を握ると、人間の倫理的ブレーキが壊れてしまう。その暴力の犠牲になるのは女性や子供たちであり、映画の中に出てくるビルマ軍の司令官は、実際は臆病者で卑劣、いざ戦いが始まると闘おうとせず、部下に戦わせて自分は逃げようとします。これは日本がかつてビルマで戦ったインパールの戦いで、トップは飛行機で日本に飛んで帰ったことをもほうふつさせます。バイオレンスというものがいかに心の汚さから生まれてくるかを描き切っているといってもいいでしょう。
この映画のキャストにも多くのビルマ難民や元ビルマ難民が登場しているようです。アメリカは多くのビルマ難民を第三国定住で受け入れています。
またスタローン自身も、ランボーのスタッフが経験したビルマ軍事政権の地獄のような暴力の実態を語っています。
この映画を見たのはずいぶん前で、もう、かなり内容を忘れてしまっているのですが、時間があるときに、もう一度見て、いろいろ細かい部分まで記録したいと思います。
あともう一つ、
人気ドラマ『相棒7』の八話と九話も
日本の人気ドラマ『相棒』というのがありますが、最初の相棒が旅立って行った場所がサルウィン共和国。
政府や様々な組織が腐敗しているため、不安定な情勢が続いている。ウランやレアメタルが豊富に産出するが、その恩恵は特権階級が独占していて、国民の大半は貧困。日本政府は食糧援助も行っている。
これ明らかに、ビルマのことだし、実際には可視化されることのない日本のビルマロビーと日本政治と ODA の闇なども描かれていて、国名をごまかさないと書けない内容だけど、
ビルマを流れるサルウィン川の名前をとっているので、どの国のことを想定しているのか、見る人が見たらわかりますね。
ドラマや映画も、ちょっと背景を知れば、ずいぶんと見方が変わります。
❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒ ❒