1749年7月4日 稲生もののけ物語 ~ 夏なのに水は凍る、火はつかず、紙は飛ぶ
「芸州武太夫物語絵巻」(立花家史料館蔵)
稲生もののけ物語、『稲生物怪録』(いのうぶっかいろく)は、江戸中期、寛延2年(1749年)の備後三次(現在の広島県三次市)のひとりの少年が経験した一か月にわたる物の怪との出会いをまとめた記録。稲生武太夫(幼名・平太郎)が体験したという、妖怪にまつわる怪異をとりまとめた記録。毎日毎日、飽きることなくいろんな「もののけ」がやってきます。
四日目、いったいどんな妖怪が !?
1749年7月4日 夏なのに水は凍る、火はつかず、紙は散らばる
『三次実録物語』試訳
さて、四日、暮れ過ぎ、茶の下 (?) 焚こうとおもって、瓶の水を汲もうとするのだけど、瓶水が凍っていてうごかず、茶釜のふたをとろうとしても、ふたもあかない。庭に降りて、てたご (手桶) の水も凍っていて、さかさまにしてふってみるけど、こぼれもしない。
それから、茶釜のもとを焚こうとおもって、焚きつけに火をつけ、燃やすのだが、火吹き竹で吹こうとするのだけど、息がとおらない。透かして (火吹き竹の) 先をみると、穴はあるのだが火にあたらない。手の裏に吹いてみれば、手には (息が) あたるのに、茶をわかすことはできないのだ。
飯をたべて、水も茶も飲まず、それっきり寝たのであるが、枕もとにあるはな紙が十五枚もあったのが、濡れていて、あちこちに散り、そのうち寝いってしまう。
あくるあさ見れば、唐紙障子や壁にはりついていましたよ。
三次ことば
いごく → うごく
たご → 天秤棒で担いで運ぶおけ
唐紙障子
小さなころ、ふすまの装飾はすごいなあと思ったことがある。手書きだと思っていたんだ。
以下は星野リゾートさんの唐紙の解説。
伝統的な和室ばかりか、最近ではモダンな空間を彩り、インテリアや雑貨にも使われる唐紙(からかみ)。その名の通り、奈良時代に中国の唐から伝わった唐紙(とうし)を起源とし、日本文化に深く根をおろしてきた伝統工芸品です。和製の唐紙(からかみ)作りは、平安時代、京の都で始まり、貴族文化に浸透し、寝殿造りの住居や寺院などで使われるようになりました。時代とともに、独自の技術や文様が生まれ、公家や武士、茶人にも好まれる格調高い「京唐紙」へと発展。江戸時代には、京の職人がその技術を江戸へも伝え、「江戸唐紙」として町方庶民にも親しまれるようになりました。京唐紙ならではの、さりげなく上品にその場に溶けこむ優美さは、絵具(えぐ)と和紙、そして版木というシンプルな材料に、熟練した職人の手が加わり、数百年かけて洗練され、今なお磨かれ続けています。
京唐紙
以下は東京都産業労働局の江戸から紙の解説
もともとは平安時代に中国から渡来した紋唐紙を日本の和紙を地紙に模倣したもので、京都で和歌をしたためる詠草料紙として作られていた。
中世になると襖や屏風に用いられるようになり、江戸時代には多くの唐紙師がからかみをつくるようになった。
「江戸からかみ」は、木版摺りだけを重視した「京からかみ」に対し、木版摺りを基調としながらも型紙による捺染や刷毛引きなど多くの技法で作られるのが特長である。
その文様は、武家や町人の好みを反映した自由闊達で粋なものであった。